アラフィフ、大学院生活を楽しんでみる

中年クライシス真っ只中の社会人大学院生。現在博士課程1年目。自閉症とコミュニケーションについて研究中。転勤族家族なので、日本中がホームタウンのつもり。仕事はパートタイムで、消費生活系相談員してます。コメント大歓迎です。

弁護士先生直伝の交渉力で、レベルアップしてみる(上)

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仕事場の関係で、最近、弁護士の先生方とお話する機会が幾度かありました。業界屈指のいわゆる凄腕の方ですが、とても気さくでいらっしゃいます。

 

その先生方からお聞きした、交渉の本当のすごさをお話しようと思います。

 

今日と明日の2回シリーズになる予定です。明日には、その先生方の交渉力の原点に通じる、なかなか面白いご本も、ご紹介しますね。

 

全員が勝つ地点を、ひたすら目指す

弁護士先生が登場するような交渉って、どうです皆さんイメージできます?そういう時に先生方、どんな戦略を使うと思いますか。

 

私が先生方のお話を聞いていて「ほう、なるほど」と思ったお話をしましょう。今からするお話は、あくまで交渉事のことであり、刑の重さを決めるような場合の話とはまったく違いますので、最初にお断りしておきますね。

 

先生方ね、自分が交渉事の代理人になった時に、やっぱり相手方の代理人の先生の存在をとても重要するそうです。どんな人が出てくるのかで、交渉がスムーズに運ぶかそうでないかが変わりますからね。

 

どうです、ちょっと考えてみてください。例えば自分が弁護士先生のような立場で、相手方の先生が業界の中で一目置かれるような人がすごい方だと、戦々恐々となりませんか? 

 

ところが先生方のお話からすると、実はそうではないらしいのです。交渉技術も人間的にも優れた先生が相手方に出てくると、とても嬉しいのだとか。

 

なぜならね。ウィンウィンを目指せるからです。自分の顧客の利益をしっかりと守りながらも、社会的にも認められるような、そして全員が納得いくような結論へ持って行きやすいからです。

 

相手方の先生が、「相手をせん滅する」状態で交渉に臨まれるとね、結局はこちら側も、トコトン戦わなければならなくなる。落としどころが見いだせず、全員で疲弊してしまうのだそうです。

 

自分だけが100%得をしたいというのは、やっぱり誰が見ても変ですもの。相手にも相手のきちんとした人生や言い分があり、もちろん自分にも同じだけの理由がある。ではどうするのが一番「誰もが望む結果にたどり着きやすいか」は、明白です。

 

例を出してみましょうか。一方が労働者で、もう一方が巨大企業としましょう。労働者側の先生と、企業側の先生ではなにか目指すものが違うのではと、一瞬思います。でも先生に言わせると、もし相手方に納得できる弁護士が出てきた場合、きちんと法的な議論を尽くした上で、最良と思われる結果が見いだせたら、今度はお互いの顧客のいる所に戻って、次は全力で顧客を説得するのだそうです。

 

自分の利益を最大限にして、相手には一つの利益もないということ、良い交渉とは言えないのです。法律に従って出した着地地点ならば、全力で守る必要があります。最近の世の中は、もし巨大企業が横暴なことをしたら、それこそ命とり。法を逸脱した行動をしたら、社会的にあっという間に危機的状況に追い込まれます。ネットの情報があふれる世の中ですしね。コンプライアンスを守らせるのも、法律家としての重要な役目です。

 

私がお聞きしたある先生の極意は「問題にはハードに立ち向かう。人には柔らかく接する」なのだそうですよ。交渉事に感情の手りゅう弾は投げ込まないのだそうです。相手が好きだから嫌いだからやっつけてやるのではないのです。プロとして交渉を担当している以上、プロの働きをしたいのだそうです。問題を解決するために交渉しているのですから、感情は落ち着かせて事に当たる必要があります。

 

自分と自分の顧客の心がひらいているほど、仕事はやりやすいです。相手の代理人とも、当然、人対人の交渉になりますから、人としては礼儀と真心を尽くし、問題はしっかり処理するということのようです。

 

もちろん、客観的な基準が必要になります。これが誰かが勝手に決めた基準だとしたら、誰も納得いきません。この場合は法律というゆるぎない基準があるので、それに準拠していくということなのでしょう。

 

この話を最近聞いて、ふむふむと思いました。

 

私は自分がどっぷり専業主婦の時代、ほぼ社会的にはまったく目がひらかれていないときに、家族に対して真逆のことをやっていたと思うのです。夫や子供に感情がおもむくままイライラをぶつけ、問題は処理せず先送り。結局何にも自分を改善していくこともせず、だらだらと10年以上お家に引きこもっていたのですから。

 

交渉事のスタイルを考えると、その人の考え方が見えてきます。考え方はその人の生き方、在り方を形作っていきます。

 

考え方を良い風にチェンジしていけたら、必ずその人の人生そのものがレベルアップするはずです。どんどん素敵な交渉ができる人間になっていきたい。自分の利益を最大限にするために、相手の利益も最大限にする。とってもよい方法だと思います。

 

では明日は、先生方から聞いたお話とすごくクロスする、あるご本を紹介したいと思います。そのご本は、弁護士先生からではなくて、大学院の授業の中に出てきたのです。読んでびっくり、洋の東西を問わず、出来る人は同じ戦略を使いこなしているのだなということがよくわかりますので、お勧めしたいと思います。では詳細は明日に。今夜はこれでおやすみなさい。

人生にとって一番すごい幸せって何だろう? たぶん答えは。

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大学院近くのとても雰囲気のよい由緒ある神社では、今日は春の祭礼日。複数の屋台が参道に並んでいました。

 

付近の中学校や高校の子ども達でしょうか。先ほどまで、ワイワイがやがや、大人とは違うトーンの明るい笑い声が響いていました。

 

その声を聞きながら、いろいろ考えが頭の中を駆け巡りました。人生の中で何が一番すごい幸せなのかと、つい考え込んでしまいました。

 

 

そのかけがえのない人と、今しかできないことを

最近、私の(すごく)年下の友達が結婚式を挙げましてね。メールで晴れやかな笑顔の写真が届けられたのです。私の気分は、ちょうど親戚のおばちゃん状態。個人情報なので、私がブログアップはできないのが残念です。ホントは見て見てうちの子一番かわいいでしょ~と見せびらかしたいのですがね。それぐらい、にこやかな笑顔でした。

 

彼女とはとても偶然の出会いをしたのですが、一時期は本当に私の妹ではないかと思うぐらい不思議と同じ行動をしていました。なにしろ行動力のある人で、彼女の動きは私のお手本でもあり、彼女の発言は私の燃料にもなりと、とてもとても刺激を受け続けています。それは今でも変わりません。

 

「今しかできないことを見逃すな。そして、その大切な人と共に行動せよ」。それが彼女の行動から得た私の大事な人生の指針。

 

私ね、人と出会うことこそ、人生の醍醐味だと思うのです。出会って、その人と何か同じものを見て、共通するインプレッションを得て、そして語る。自分と興味関心をどこか同じくする人と、その時にしかできない、一番楽しくて豊かな行動をやってみる。

 

ちょうど祭礼の夜祭にいた子ども達のように、「その時にしか成り立たないその人との行動」っていうのがあると思うのです。大人になると、屋台の前でわいわい飴なめながら近況を確認しあうって難しくなります。もちろん大人になれば、大人の楽しみがありますので、心配ご無用ではあります。でも、思春期だから成り立つ楽しい会話というのもあります。

 

人生にとって一番すごいことは、たぶんセレモニーそのものではなくて、もっともっと日常的な「行動を共にする喜び、伝えることのできる幸せ」なのだろうと思いました。

 

彼女は「今この瞬間にやりたい事を、大切な人とやっている」から幸せなんだろうと思うのです。子ども達には、今しかできない仲間内の会話があるから、お祭りの夜がさらに輝くように。誰にとっても、誰かと共にあることこそが、実は一番の幸せなのではないかと思ったのです。

 

私の場合は、もちろん家族はとっても大事。でも、やっぱり私の人生を考えるときに、「志を同じくした仲間」の存在こそが、私を形作っているように思います。手帳仲間や、もちろん青春時代の友人も、そして今現在お仕事場でご一緒してくれている方々もね。すべての人が私にとって、出会えてよかった人生の宝物なのだなと感じるのです。

 

こんな楽しいことがあったよと報告したい人、きっとアナタにもそういう人がいると思います。今日の自分の楽しかったことを、伝えればいいのです。ええ、直接でなくても心の中であってもね。伝えることでさらに喜びが倍増するように思います。

 

私ができるだけブログを書いてあなたに届けたいと思うのも、きっと同じ部分から湧き上がる気持ちなのかもしれません。また明日、素敵なことを自分の歩いた道で拾ってきて、アナタにお伝えできたらいいな。では良い夜を。おやすみなさい。

アナタにとって最高の応援団になる人は、こんな人

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一歩そろりと足を踏み出してみては、「いやいや、まだ怖い」とまた足をすくめてしまう。もしそういうことから脱却したいなら、ぜひこんな人に会いに行ってください。

 

自分の目の前にあるだろう大海へ、アナタを誘ってくれる人がきっと存在します。

 

心ふるえる思いを語る人は、最高の応援団になる

それは金曜日の出来事でした。私が登録履修している5限目の講義を聴講し終わったときのこと。その日の内容は、「発達障害」を発達分子生物学や遺伝学の観点から見たときに、今の科学で推測というか推定されている、すごい事実のお話でした。

 

難しい内容なんですけれどもね。担当教授の力量が素晴らしく、私のような「30年前に高校生物はやったけれども」というレベルの素人にもわかりやすく、丁寧にお話下さいます。(なんとまあ、高校生だったのは30年以上前! 自分では17の時となんら変わっていないつもりなのに、事実はコワイ。怖すぎる。)

 

私の現状の頭では、もちろんまだ、教授のお話になったことのすべてを理解できているわけではありません。が、それでも思わず唸ってしまうような、鳥肌モノの内容でした。最先端の遺伝子研究で明らかにされつつあること、すごいですよ! 

 

この講座、実は受講人数がわりとこじんまりしていましてね。わが校では私が履修しているほかは、上の学年の方が聴講生として来ていらっしゃる状態です。大学院のシステム上、ドクターコース2年生以上の方は聴講できるようです。

 

いらっしゃっている先輩、この方も素晴らしい方でした。大学で教鞭をとられるという、知の世界でずっと生きてこられていた方なのです。私からすると、雲の上の存在のような方ですが、講義を聞き終えて二人で「きゃーきゃー」言って、今日の話を聞けたことを喜び合いました。

 

その時にこうおっしゃったのです。「時間と環境が許せば、本当に大学院の導入課目、しり込みせずに全部取るといいですよ」と。そして、「こんな心が震えるような話を聞くことが出来るって、素晴らしいチャンスですもの」とね。

 

先輩は去年「自分には難しすぎるかな」と思って、この科目を取らなかったのだそうです。でも後期は意を決して神経薬理学や機能画像解析学など、それまでご自身の分野とはなじみのなかった講座も登録履修されたのだとか。

 

その時に、痛感されたそうです。難しいかもしれないと自分で勝手に計算して、しり込みしていることの意味のなさをね。

 

確かにハイレベルではあるけれども、一流の講師が全力で説明をしてくれる。質問がればメールで聞いても良い。導入課目とはいえ、手に入る内容は最新の研究のオンパレード。理解度を図るテストやレポート提出はあるけれども、落としたいのではなく、役立てて欲しいためのシステムだから、チャレンジしない方がモッタイナイと。

 

先輩の「知の世界へ果敢にダイブ」している姿を見て、後輩の私も当然! 刺激を受けます。こんなに目を輝かせて「楽しくて仕方のない世界に、今私たちは集まってるんですよ」と教えてくれる人が、私の真ん前にいるのです。これで触発されない訳ないですよね。

 

もし、自分がこれから進もうと思っている世界へ飛び出すことに、足がすくんでいるとしたら。その世界で行動する楽しさを「目を輝かせて」語ってくれる人に、ぜひ会いに行くといいですよ。

 

人はね、楽しいと思っていることを聞かれると、心の底から盛りだくさんな内容を語りたくなってしまうものです。

 

例えば、私は自分の息子くんが大好きですが、彼の可愛さを語れと言われたら何時間でも語って聞かせるでしょう。まあこういうことは親ばかすぎて語る場もないですが。同じことなんです。好きなことには、思わず力が入るのが人間です。

 

どんなことでも、やっぱり自分にとっての最高の応援団は、同好の士。学問の世界へ飛び込むなら、その場所を楽しんでいる人に話を聞くのがやる気直結になります。手帳のことが好きなら、好きな人が集まる場所へ行けば、またもっとその世界と馴染み安くなりますよね。

 

もちろんね。勉強はどこかしら努力入るので、楽しい楽しいだけでは済まないかも知れません。だからこそ「楽しそうにやっている人」のそばへ行って、自分も「とことん自分の力で楽しそうにやる」を続ければいいのです。

 

とても面白いことに「楽しそうにやる」ことは「楽しくなる」に陸続き。決して裏切ることはありません。

 

自分の応援団は、自分が楽しそうにやってみたいことの世界で、すでに活動を始めているのです。アナタの応援団は、今この瞬間、アナタがその世界へ登場してくることを待っていますよ。

凡人を自覚した後は、お得な生き方が待っている。

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1000年の昔から変わらない真実って、やはりあるのだなと最近痛感しております。

 

兼好法師よ、アナタは本当にすごかった! そうです、皆さん学生時代に徒然草、泣き泣きでも授業でやりませんでしたか? あの草紙に書いてあることは、まごうことなき真実でございましたよ。

 

凡人だと自覚した後は、こんなに幸せに豊かに生きられるというお話を書こうと思います。今日の話は、できることなら10年前の私に届けたいな。

 

図書館は瞬時に回答をくれた

先日、配属大学から学生証が届きました。私たちは身分としては、主幹大学院の学生ではあるのですが、実際に主に通うというか配属研究室のある大学院の学生証も持つことになります。(生協とかは主にこちらで利用しますしね。図書館もね。)

 

意気揚々と、早速こちらの大学図書館に文献コピー依頼を出しました。ええ、海外の論文を一本入手したかったのです。私の担当教授曰く、「自分で雑誌にオーダーを出せば場合によっては数千円しますが、図書館を通じてコピー依頼をかければ数百円で済みます」と。

 

社会人大学院生とは言え、私は非常勤のパートさんですから収入は限られております。当然お値打ちに入手できれば、それに越したことはございません。さっそく医学図書館に出向き、文献入手のガイダンスを受けました。

 

文献入手については、昔と違って21世紀の世の中ですので、図書館でペンで何かに記入するのではないのです。大学のIDを使って、ネットシステムで自宅からでもアクセスできます。

 

オーダーをかけて翌日、さっそく図書館から返事が来ていました。

 

なんと! 図書館の司書の方が調べてくださった結果、私の欲しい情報はネット上で無料で入手可能とのこと。そのデータを添付して私に送ってくださいったのです。雑誌もエイゴですから、当然文献も英語です。司書さんそのデータを読みこなして、過不足なくデータを入手してくださってました。

 

脱帽だと思いました。プロは仕事が早い! 正確! 確実!

 

大学院に正式に入るということは、確かに授業料など目ん玉飛び出すぐらいはかかります。でもね、こんなプロが要所要所で働いているすごい場所なのです。以前から大学に籍があるということの最大のメリットは、図書館や学内システムを使えるというkとおだとは聞いていましたが、はいまさにその通りでした。

 

私の指導教官はその分野では日本第一人者の方なので、情報を持っていない訳ではありません。内容についてはもちろん、誰よりも深く理解している方です。が、司書さんは探し物のまさにプロ。教授の知らないような場所でも、サクサクとアクセスし仕事をしてくれるのです。

 

私はネット検索は割と好きで、自分で航空券や海外ホテルの手配はしてしまう程度にはウェブには慣れています。が、司書さん方の前では、児戯に等しいなと自覚。

 

この探し物をするときの力については、実は同じような経験を最近しています。プロの翻訳者の友人がね、やはり似たような感じなのです。

 

例えば簡単な単語一つであっても、日本語と英語の対応を徹底的に辞書で調べたりしています。場合によっては、それこそ医学部図書館へ出かけて、専門書や最新の医学雑誌を調べています。なんというか、ちょっとでも疑問が出てくると、取りこぼしない捜索をするのです。だからプロとして認められた仕事ができるのだと感じています。

 

800年とかの昔、兼好法師は言いました。「何事も先達はあらまほしきもの」と。自分よりわかっている人がいるのです。この世の中のすべての仕事を、全部自分でするよりもはるかに、自分が凡人だから教えを請おうと思った方が豊かに生きられる。

 

自分にとって知らないことは山積みの世の中なのです。でも、すでにその分野で、プロはちゃんと存在しています。ほとんどのこの世の中の現象って、誰にとっても、自分が劣っているから知らないのではないのです。「ただ今まで行ったことのない場所だから、今まで使っていなかったモノだから、今現在知らない」だけ。

 

でもはるかに自分より優れた手腕の人がいるなら、自分の努力を上回るスピードの助けが使えるのなら、堂々と尊敬の気持ちをもってその方の腕を使えばよいのですね。(プロの仕事には、もちろん対価は払います。私の場合は、大学院入学金とか、授業料とかいう名目ですね)

 

自分が主婦の時にね、こういう「プロをリスペクトして、プロの力を借りる」ことをもっとやっていたら良かったなと、少しだけ後悔しました。何でも自分でやらなきゃ! って片意地張りすぎていたと、幾分反省の気持ちです。

 

もちろん自分でやれることを、すべて人にやらせろということではありません。今の自分がひっくり返ってもできないようなことは、出来る人の力を受け取れということです。今回の場合、論文を読み込んで次に活かす行動に移すのが、私の勉強上の仕事です。探し物で力を使い果たしていたら、それこそ元も子もない状態です。

 

たぶんね。この年になっても、ひよこヒヨコしている自分ではありますが、何かの分野では、誰かの役に立つ仕事をできてるのかもしれません。まあ、実際には出来ていないから今こうして四苦八苦して学んでいるのですが。希望は失わず、やはり私は切磋琢磨いたしましょう。

 

いずれ、こういう私を導いてくださる方々を、私が道を作ってご案内できるようになる日のために。今は凡人を自覚して、ありがたくお力を借りようと思います。

 

本当にね、思い切って大学院に来てよかったですよ。「自分が、自分が」という浅はかな思い込みを、すっぱり捨てることが出来たから。そしてそのおかげで、こんなに豊かでスムーズに歩ける道に、導いてもらえたのですもの。

年齢を超越する生き方をする人が持つ、すごい共通点

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私には何名か、「心の姉・人生の師」と慕う方がおります。ええ、実は年上の方ばかりではなく、年齢の近い人や、中には年下の方もいらっしゃいますが。

 

見た目も若々しい人が多いですが、なにより皆さん、その内面のフレッシュなことと言ったらありません。そして、ここ数日出会う教授方も、女性男性を問わず、内側から光り輝くようなパワーをお持ちです。

 

こういう人々、ある絶対的な共通点があります。今日はその、共通点について考えてみました。

 

見習うべきはやはり好奇心

今日は2コマ受講の日。うち一コマは、細胞のお話でございました。昨年日本人受賞で話題になったノーベル賞のオートファジー理論についてもお聞きできたので、とてもお得な気分です。

 

聞いていると言っても、単位がかかっているのでうかつに睡魔と仲良くなるわけにはいきません。そういえば30年前に生物でやったな~、ミトコンドリアだのゴルジ体だの懐かしいな~などと、悠長なことを言っていると、オダブツです。高校時代だったら2か月ぐらいかかりそうな内容を、1時間半で突っ走りますので、全力でついて行くしかありません。

 

でもね、やっぱり今日も思いました。教授方ってとことん頭いいのよねえと。なにしろ本当に「わかっていない人にどう説明すればわかるのか」を熟知しています。これは、確実にその語る内容を理解していないと、出来ないことなのです。

 

細胞の機能一つ一つを説明なさるのですが、本当にわかりやすい。徹底して、私たち普通の人間が聞いてすぐわかるだけの日常の生活に動きに落とし込んでお話なさいます。

 

例えば細胞核とは何ぞや?とかの場合、先生はこうおっしゃいます。「あれは巨大な図書館なんですよね。設計図がいっぱい入った本が、無数に集められている場所であり、たくさんのコピー機も用意されているんですよ」という風に。その瞬間、この30年前の学生でも、瞬時に働きが理解できます。だって知ってる場所だから、絵が脳内に瞬時に出てくるからです。

 

先生方、どうやって説明したらいいのかを常に考えてらっしゃる。相手にわかりやすい説明を、相手の脳の実力に合わせて選び取ってくる。ということは、普段から身の回りにあることを「興味津々」で見まわしているということです。好奇心旺盛に生きているということなのです。

 

この好奇心。絶対条件なのだと思います。私の師たる方々、皆さん年齢も性別も容姿も住んでいる場所も違うのに、この一点「好奇心を手放さない生き方」は共通しています。

 

知ることを楽しみ、知ったことを使うことをもっと楽しんでいる。そうなんです、人生のどんな瞬間も、「今の自分にできる最大のお楽しみの時間」に変えようと、皆さん努力してらっしゃるのです。

 

大人になって以降、やっぱりね自分の人生を楽しもうとするには、努力いるように思います。自分が不機嫌で居心地わるくしている場合、赤ちゃんのときなら全力で誰かが面倒見てくれましたけれども、ある程度大きくなればもう自分で自分のハンドリングをしなければなりません。

 

楽しく居たいと思ったら、どうやってしても自分から「楽しそうに行動すること」しか方法はないわけです。その時にね。好奇心という心さえ手放さなければ、どんな行動も「知りたいから行動している」ので、苦痛ではないわけです。

 

そうして生きていると、いつの間にか教授たちのように、どこかずっと少年のようなそして少女のような、フレッシュな透明な風を漂わせる清々しい人になっていくように思います。

 

赤ちゃんこそ天才。その時のあの驚きに満ちた好奇心いっぱいの目を、もう一度私も思い出して記憶の底から取り戻して使いたいものだなと思いました。

 

それにしても、たとえ話が上手な人はすごいですよね。私も毎日毎日、目を皿のようにして、耳をダンボのようにして、気持ちを楽に体をリラックスさせて、そのうえでいろんな情報を集めてものにしていく生活をしようと心に決めました!

 

 

 

大人になっても、自分が「伸びる分野」を簡単に見つける方法

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大学からの帰りの長い坂を歩いていると、ふと今日の出来事が思い出されます。そしてまた新たな気づきに出会います。本日ご担当の教授はこうおっしゃいました。「もえますねえ」と。

 

さて、もえることと伸びる分野にはこんな関わりがありますというお話を始めましょう。

 

困難なことに直面したときこそ、伸びる分野が理解できます

今日は母子保健の講座で、遺伝病を中心としたお話でした。先生方はオムニバス方式で入れ替わる講座です。つまり、一つの教科の中で、ほぼ毎回のようにご担当の先生は変わり、それぞれのご専門分野とその関連ある事柄についてお話になるのです。そりゃごっつい難しくもアリ楽しくもあり。

 

講座を始めるにあたって、受講生の我々に教授がご質問になったのですが。見事、すっとこどっこいな回答のオンパレードでした。それを聞いて教授(私より5か10か上の男性です。そして真正の関西弁です)即座にこういう意味のことをおっしゃったのです。

 

「まあ! なんと皆さんの回答ユニ~クなこと! 出た答えなの中で合っているのは一つあったかな。ここまですごい(つまり全然この受講生わかっていない状態である)と、やる気でもえますね」と。

 

私の出した答えはこの珍回答の中でもとりわけ赤面レベルでしたので、頭を抱えてお話を聞く羽目になりました。うふふ。でもいいのです、今日そのおかげで、また一つわからないことがわかるようになりましたし、今後この分野のお話を興味津々で聞くことが出来るようになったのですから。

 

この教授の発言が、私たちにとても大事なことを教えてくれています。

 

そうなんです。困難な事、スムーズでないことに直面した時に、自分の心の中で「うわ~なんかこれに挑戦するってもえるわ!」と思うような分野が誰にもあるはずなのです。

この挑みたい! と思うような分野、それこそが私たちにとって「伸びしろ十分な分野」なのです。

 

例えばね。お菓子作りの好きな方は、ちょっと手の込んだケーキの作り方を見て、間違いなく「もえる!」でしょう。編み物の好きな方は、複雑な編み図を見てやっぱり「やる気があおられるわ」と思うでしょう。

 

少しだけ難しそうな事を見たときに、やってみたい、それこそチャレンジし甲斐があるのよと思ったものは、絶対に自分の力になるフィールドです。だって、興味があるからもえるのです。そしてチャレンジし続けるだけの好奇心があるということなのです。

 

伸びしろは、好奇心というエネルギーが必須ですものね。

 

教授は「今までまったくこの分野に接したことのない人に、いかにわかってもらえるように話そうか」ともえたのです。この先生、本当に素晴らしい教育者だと思いますし、医師としてもやっぱり尊敬できる先生だと思います。普段から、医学に関して全くの素人である患者さんやその親御さんに、わかりやすく丁寧にお話をされているのが、目に浮かびます。

 

ちょっと困難さを感じた瞬間、水をざばーっと浴びたようにしれ~っとした気分になるのではなく、「だからこそやってみたい」と思うものを探し出しましょう。必ずそのチャレンジの心を忘れず、切磋琢磨していけば、いずれその分野は自分の得意フィールドになっていくはずです。

 

日常を生きていると、困難さや、ちょっとしたお試しが来たなと思うことがあります。ええ、時空からお試しされているときは、少し前までは私は打ちのめされたような気分になっていたものです。が、最近の私は全く違います。強くなったというより、考え方を少しだけ変化させたのです。その困難さこそ「自分の力になりうることなんだ」と思うようになりましたし、本当に乗り越えられるような気持ちでもあります。

 

燃えるという度合いもね、必ず100%もえるというものだけが、得意分野になるのではないのですよ! すこしでも「やってみたいな」と思うレベル、つまり燃え度が3%でも10%でもなにか熱を感じ取ることが出来れば、ゴーサイン。

もともとちょっと困難な事なんですもん、失敗は当たり前設定で、でも前に向かって一歩進む。それでいいのだと思います。

 

寝る前にすこし、一日のことを思い出し振り返る時間があるといいですね。その時に、じゃあ次の日に今日と同じなにか困難さを感じたときに、より前より楽に乗り越えられるようになりたいなと思ったことがあったら、きっとそれは出来るようになりますから。

  

さて、明日の私は、あれとこれともえてみたいものがあります。つまり、それほどたくさんの失敗をこの24時間の間にやらかしているということです。でもだからこそ、まだ私には伸びしろ十分。だってわかりたいんですもの。できるようになりたいんですもの。

 

生きている実感は、明日の自分を期待することからです。ふとした瞬間に、「なんかもえる」感じがあれば、きっといつの日にかまさにその分野で、ぐっと伸びた自分になれるはずです。

お子さんの学力アップを望むなら、一枚の絵方式が有効です

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最近とても面白いことがありましたので、ご報告しようと思います。

 

記憶と学習の法則についてですので、もしご自身の記憶力アップやお子さんの学力アップをお望みでしたら、お役に立つかもしれません。名付けて「広告の裏」方式。インパクト方式とでも言ったらもっとわかりやすいかな? あるいはかえって混乱しちゃいますでしょうか。

 

うふふ。では本日のお話をゆるりとお楽しみくださいませ。

 

記憶力アップはインパクトを利用しよう

人は普段から、本当に驚くべきほど多い情報の中で生きています。もし毎日をビデオ撮影していたら、色や形、音、あらゆるものが洪水のように押し寄せてくることに気がつくでしょう。

 

そんな日々の中で、覚えたいことを覚え、またその覚えたことを思い出したいときに瞬時に思い出すようにするために、私も葛藤していたりします。

 

私は実は、人の名前を覚えるのがとっても苦手。でも今回、大学院の学友の名前を覚えるのに、記憶術の一つを使いましたら、なんと瞬時に覚えることが出来たのです。そして思い出すのも楽でもう忘れません。今日はせっかくブログにお越しのアナタに、その方法をご紹介しましょう。

 

お名前そのものはさすがにブログでは書けませんので、例でご紹介しますが、やり方は同じです。

 

その方が、「富士さん」としましょう。自己紹介なさるときには、漢字はわからず「ふじよしこ」さんとご紹介になったとします。私は今回こそ名前を瞬時に覚えるあの技を使おうと思って実行してみました。

 

私→「あ、ではルパンの峰不二子の不二ですか?」

学友→「いいえ、日本一の富士山の富士なんです!」

そして私は、その方と富士山をばっちりとリンクさせ、いつでも取り出しやすい形で脳の中にお名前を格納することができました。

 

そうなのです。記憶には、インパクトと感情を使うのです。私はかなりアニメ大好きだった人ですので、ルパンも好き。フジといったら、峰不二子がパッと出てきます。その音とフジをまずリンクさせます。

 

でも今回、本当の字は富士。その方は必ず、私の言ったことが間違いならば訂正なさいますし、逆に正解なら正解とおっしゃいます。不二子ちゃん→富士山の絵が頭の中でカシャリと切り替わります。明確に頭の中で写真が思い出せるようになっていると、確実です。

 

写真(一枚の絵)を思い出すのは、実は人間にはとても簡単なことなのです。この一連のやり取りがあることで、格段に思い出しやすくなったと思いませんか! もういつその方にお会いしても「富士さん~」とお呼びすることが出来ます。

 

実は、記憶には初頭効果と呼ばれる現象がありましてね。一番最初に会った時の記憶というのは、よく残ります。その場でさらに一枚の絵方式を使って記憶を強化する行動をとれば、もう忘れようがありません。

 

今日は私の経験だけではなくて、あるすごく高名な学者さんの勉強方法も合わせてお伝えしましょう。その方は何か国語も操る教授で、外国の超有名大学で教鞭をとられている方です。

 

学生時代、もちろん日本有数の大学で勉強されてから外国にお移りになられたのですが、その時の勉強方式がまさに記憶術のセオリーを使ったもの。

 

実はその先生、試験勉強は好んで「広告の裏の白いところ」を使ったそうです。こぎれいな白いノートじゃなく、裏が透けてこちらに見えそうな広告の裏というところがミソ。そうなんです、書いている文字とその裏の模様が目の中でリンクされ、ただの字ではなくて絵として脳に格納されていくという寸法だったようです。先生曰く、実際のテストの時に、きれいに書かれたノートより、ずっと思い出しやすかったとのことでした。

 

もしお子さんがこぎれいに字だけのノートを取っているとしたら、もちろんそれで好成績取っているならよいのですが、そうでないなら、絵やアイコンを入れる方式をぜひお勧めしてあげてください。ノート自体を絵のように脳にしまいやすい形にしてあげてください。どうぞ色ペンをふんだんに使わせてあげてください。色があることで情報量が増えますから、より脳フレンドリーなのです。

 

記憶したことを思い出すためには、ちょっとしたきっかけがあれば、あとは芋づる式に思い出せるのです。記憶のトリガーになるものを、少し増やしてあげることです。さすがに広告の裏はいやだなという場合、ノートを大切に楽しそうに作りこんでくださいね。繰り返しノートを見ようと思うような楽しいノートを作る方向にもっていけばいいのです。記憶の法則の一つは、「記憶が定着するまで、何度も復習」ですから。思い出す回数を増やせばいいのですもの。

 

記憶は何度も思い出す作業をしている間に、強化されます。より思い出しやすくなります。一枚の絵方式、とてもとても有効ですよ。お子さんだけでなく大人の私たちこそ使い倒してみてくださいね。