アラフィフ、大学院生活を楽しんでみる

中年クライシス真っ只中の社会人大学院生。現在博士課程1年目。自閉症とコミュニケーションについて研究中。転勤族家族なので、日本中がホームタウンのつもり。仕事はパートタイムで、消費生活系相談員してます。コメント大歓迎です。

人が力を出せる環境にするには、○○が必須なのです

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人が本当に楽に力を出すためには、どうしても必要なものがあるようです。それは一体何なのか、今日の気づきをお話しようと思います。

 

准教授は小さな声でつぶやいた

今日の大学院の授業は、私の配属校の先生が担当でした。私の所属大学院は、5大学が集まって構成されております。講座ごとに、その日の担当講師がそれぞれの大学から遠隔会議システムを使って講義をオンエア(ネット回線ですからオンネット?)します。

 

水曜6限目の講義は、登録生徒8名ほど。わが校では私のみ履修届を出しているようです。本日の5限目は同級生と一緒に履修していましたが、その時間で彼女は退出し私だけが講義室に残っていました。

 

そこへ、准教授先生がさっそうと登場。長身のはつらつとした、とてもお若い先生です。私が同室受講すると知って先生、本当に小さな声で「うわ~そうなんですか。良かった。そうですか、いや、それは、ほんとに、良かった」。

 

小さな声で話されることって、心の底からの安堵の声のことが多いです。その時の先生の表情は見えなかったのでしたが、かすかな声にのってくる感情は、私の耳に届きましたよ。

 

1時間半の授業は怒涛のように進行し、講座終了後先生とすこしお話しました。社会人の方が多い院ですので、自宅での受講もできるという手厚いシステムなのですが、先生方にとってはこれが微妙にネック。場合によっては目の前に誰もいない状態で、カメラに向かって一人寂しく講義となることもあるとか。過去の年度においては、ネットテレビの向こうでも、日によっては一対一状態に近くなることもあったとか。

 

そうなるとね。いくら大学院レベルの熱の入った講義とはいえ、どこか「ちぐはぐ」な感じがするのだそうです。話しているのに、聞いてほしくて講義をしているのに、受け取ってもらっている感が直接感じられないからなのでしょうね。

 

ギブアンドテイク。きっと情報であっても何であっても、受け渡したい人から、直接受け取るのが良いのです。その時のリズムそのものが、品物よりきっと受け取り手にとっても受け渡し手にとっても、価値があるのでしょう。

 

もう賢明な皆さんなら、私が今日書きたい事、読み取ってらっしゃいますよね。

 

おそらく、人にとっては人がいることが大事なのです。空気の中に相手の体温がじんわりと伝わってくるような場所、呼吸のリズムが感じられるような場所に人がいるのといないのとでは、まったく結果が全く違ってくるのです。自分のパフォーマンスが、がらりと変わってしまうのです。

 

確かにね、無機質なカメラ相手にしゃべり続けるのは、心の折れる仕事だと思います。反応が感じられない世界って、どう考えても居心地悪そうです。

 

話しやすさ、居心地の良さ。きっと人は、本当に誰も人がいない世界では、そこが王宮のように素晴らしい場所であっても足が宙に浮くようで、その人本来の力を出し切れないのだと思います。

 

居心地の良い場所は、どこかに人の気配がする場所だと思います。

 

面白いでしょ。人は人に生かされて、そして活かされているのだなと思いましたよ。今日の教訓をもう一度私は夢の中で考えてみようと思います。私の存在がアナタにとって、なにかよい気配をもたらすものであるように、明日も精進してみようと思うのです。