大阪人は、手裏剣を投げるのが得意である?!〈社会人大学院生のおもろい日々〉
こんな言い伝え、聞いたことはありませんか。
「大阪人は、必殺で来る!」
社会人大学院生のおもろい日々
大学院での五里霧中、右往左往、そして捧腹絶倒な日々が始まりました。(まだ阿鼻叫喚ではありません。論文に取り掛かるころにこういう事態にならないように、ベストつくしますわ。)
1年生ですし、取った授業の関係で平日は毎日学校に通っています。
海外から留学でいらした方は、もうすでに研究室で研究に入ってらっしゃいますが、私は社会人やりながらの通い通学。
この一週間は、ペース配分を会得するための時間でもあります。
日によっては、午前中相談業務、午後から発達支援関係のお仕事を済ませ、大学への長い坂を自転車で駆け上がります。
パートタイムのお仕事ですので、時間的には余裕があるのです。が、パート労働と言えども、気を抜いていいわけではありません。仕事は人間相手の、お一人お一人状況が違うことへの対応です。かなり丁々発止の仕事になります。だらけるわけにはいきません。
そこへ夕方からの、頭が沸騰するような言葉のシャワーが降り注ぐのです。一つの授業をオムニバス形式で複数の先生が担当されます。それぞれが日本有数の研究者で、ニュースでお名前を聞くような方も混ざっています。
これでみるみるやせ細り! とならないところが、更年期というものでしょうか。お腹周り浮き輪の厚みが増しているような気もしますが、きっと気のせいです。と自分に言い聞かせてはいますが、そろそろ現実を直視するのに良い頃合いかもしれません。
幸い、私は学友に恵まれました。同期の本校配属の皆さんは、皆さん本当に才媛という言葉を絵にかいたような人となりです。留学でいらした方はすでに研究室で活動されているので、いきおい毎日顔を合わせます。(大学以外の遠隔地で受講もできます。他校で受講することも可能。その方法で大学院に通われている方も、もちろん多数。)
講座が終わり、頭に入れた情報を一つでも落とさないようにそっと頭を揺すらず帰ろうとする私に、温かいまなざしで接してくれます。彼女たちに会いたさに、学校に通うという気分でもあります。仲間がいるって、こんなにもやる気につながるのかと、実感する日々です。
ただ、すごく困ったことが授業中に起こるのです。
名付けて、「必殺手裏剣事件」
夏休み前までの前期の授業は、大阪からの配信が多いのです。となると、どうしても大阪近辺にお住まいの先生方の授業が多くなります。なかには、正真正銘の関西文化圏育ちの方々もいらっしゃるようです。
そういう先生は大阪弁というか関西弁が「ごっつい」のですぐわかります。関西弁とひとくくりで言っても、京都弁とか、大阪の地方ごとにも違うようですし、大きく言えば北陸も関西アクセントなので、私には細かい異差はわかりませんが。
授業はごく真面目です。生命倫理や、小児発達医学、臨床遺伝・発達分子生物学などの講座ですので、高校時代に接した理科系の知識を絞り出し思いだしながら受けています。必死過ぎて、恐ろしい形相で授業を受けているだろうなと思います。
先生方、大学の教授になるような方々ですので、本当に驚くほど頭もよく語学も堪能で、しかも知識豊富です。そしてすごく真面目な授業です。子ども達の未来のために、幅広い視野をもった専門家を養成するための専攻科ですから、勢いそうなるのでしょう。
となると、どうなると思います?
そうなんです。大阪人、笑いの手裏剣を要所要所で放って来るのです!
必殺です。窒息死を覚悟した方がよいかもしれません状態です。
とてもとてもまじめな先生方なのに、なぜか、「オチをつける」ことを忘れません。時事ネタも豊富です。専門分野についてはたぶん日本中でも一とか二とかいう方々ですが、話題の「可憐な真央ちゃんの引退でハートブレイク中」などの話が、ふいっと挟み込まれます。そういう先生が複数。なぜに大阪の先生は、サービス心旺盛なのでしょう。
どの講座も、驚くほど頭に残ります。授業のスライドも1時間半の講義で、わかりやすく整理されて事前に配布されてきます。当然事前に目を通しておきなさいという暗黙の了解ですな。はは。
先生方に、本当に聞いてもらいたい知ってもらいたい、ここまで到達して欲しいという願いがあるからなのでしょうね。
もっと聞きたいなという好奇心を刺激し続けられるから、1時間半飽かずに授業を受け続けることが出来るのだと思います。
もちろん、私は大人です。先生方の努力に任せず、自分で自分の好奇心を常に刺激し続け、自ら学ぶことが求められています。でも、自分で自分でという思いが強すぎると、とても大きな弊害が出てくるのです。
なぜか視野が狭くなります。自分の聞きたい情報だけを得ようとするようになりかねません。聞きたい事だけを聞くのでは意味がありません。
目の前のすべての出来事には必ず学びがあるのです。「受け取る準備」をしておく必要があるのです。
結局、学び続けることは、好奇心・知りたいと思う心なのです。強制され、威圧的に接せられることは、全くと言っていいほど学びを援助しません。難しい話であっても、自分がいかに楽しく、いかに興味深い話で心を刺激されるかで、結果は変わってくるのでしょう。
感情が動くということが、実は学びを加速的に早くします。良い方向に感情がアップされれば、学びは深く広くなっていきます。
また一つ、私は学びました。
学びの極意の一つはやはり、「人や現象が私を楽しませてくれる・驚かせてくれることを受け取る準備をする」です。きっと今日も私は煮え煮えの講義に、一ミリも失望しないでしょう。それどころか、巨大な玉手箱をそっくり受け取ることになるのですから。
さて、受け取る準備満タンで、行ってきます。