アラフィフ、大学院生活を楽しんでみる

中年クライシス真っ只中の社会人大学院生。現在博士課程1年目。自閉症とコミュニケーションについて研究中。転勤族家族なので、日本中がホームタウンのつもり。仕事はパートタイムで、消費生活系相談員してます。コメント大歓迎です。

自分のために、世の中が動いていることってあるのです

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リュウコさん、ご依頼のブツ届きましたよ(意訳)」

 

医学図書館から一通のメールが届いたのは、昨日のお昼間のこと。先週、図書館に文献コピーを依頼していたお返事が、早くも届いたのです。

 

えっちらおっちら図書館に出向いて受け取った時に、私は見たのです。ある驚愕の真実をね。今日は本当にささいなことのように思うことだけれども、実はとても大したことが人生の中で起こっているというお話をいたしましょう。

 

東京大学付属図書館からのお手紙

先週の金曜日、教授面接で読んでおくべき論文を数本預かりました。それ以外にも「これ読んでおいてね」という論文で、先生の手元にないモノがありましたので、さっそく学校図書館を通じて、論文取り寄せ依頼をかけたのです。

 

教育系の学会の雑誌に載ったものですので、取り寄せはさほど難しくないだろうなと思っていました。大学の教育系部署の先生なら、どなたかはお持ちかもなと思っていたからです。

 

ところがです。本日少し早目に大学に行き、医学図書館で料金を払って受け取ったその時、ある重大な人生の真実に出会うことになろうとはそれまで予想だにしていませんでした。

 

司書さんが「ハイどうぞ」と渡してくださった青色の大型封筒。論文がちょこんと入っているのですが、表紙を見て驚きました。

 

そこに印字されているのは「東京大学付属図書館」。宛先はわが大学の論文取り寄せ係になっていますし、差出人は文京区本郷です。使いまわしではなくて、本当にこの封筒で送られてきたようです。

 

あら、なんということ。この論文コピー、はるばる東大から来たのでした。ええ、私の人生で東大にご縁があったことなんて一回もございません。生まれて初めてのご縁、なんとありがたや。さすがに東大は抱えている資料も日本有数にすごいのですね。

 

別に大学の図書館が資料を持っている図書館に協力を依頼するのは、不思議なことではありません。ごくごく当たり前のことではあるのです。

 

でも考えてみて欲しいのです。私、全くその辺に普通にいる中年の人なわけです。その人が「欲しいなコレ」と言ったものを、大学図書館は情報網を駆使して所在地を調べ上げ、また依頼された図書館は即座に複写して送ってくれるわけです。

 

この論文を手にするまでに、何人もの人がかかわっているわけですよ。郵送されてきてますので当然郵便局の方も関わってますし。大学の学務の方もこの封筒図書館まで運んでくださったでしょうしね。

 

つまりです。私たちは「ちゃんと意思表示をすれば、アナタのその思いを叶えるために、何人もが働いてくれる」わけなのです。

 

これね、もう明確にこれから意識した方が良いことだと思います。何か自分の心が疲れてしまって、「ああ、私って誰にも相手にされなくて寂しい」と思う時に、ぜひ思い出してほしいのです。私はわりと心がお疲れしやすい人ですので、今日のことはしっかり覚えておこうと思います。

 

私たちすべての人は、こうして普通に呼吸して普通に生きているだけですでに、誰かが私たちの望みを叶えようとして働いてくれるほど、価値のある人だということなのです。

 

封筒はこう告げていました。「アナタは確かにまだひよっこ学生だけれども、あるいはだからこそこうしてアナタのために働く人がいるんだよ。えらい先生がオーダー出すのと何ら変わりなく、価値がアナタの手元に届くのだよ」とね。

 

意思表示をすればいいだけなの。意図を明確に相手に伝えればいいだけなの。

 

もちろん論文取り寄せに使うオーダーのやり方には一定のルールがあります。それと同じように、意思表示をするマナーというかお作法はどの世界にもあるのですが、そのマナーさえ守って待っていれば、ちゃんと世界は動いてくれる。

 

というわけで、あらら、また読まなければならない文献が到着しました。私の仕事は現時点では、周りの才能ある人達に遅れずについて行けるように、必死と学ぶことです。来週の教授面接までに、理解して質問に答えられるようにお勉強するほかないですねえ。

 

でも、人生にとってこうして大事なことに気がつくと、どんなことでもやる気いっぱいで向かえますものね。「意思を明確に、相手に分かる形でマナーを守って伝えれば、ちゃんと世界は動いてくれる」のですものね。