アラフィフ、大学院生活を楽しんでみる

中年クライシス真っ只中の社会人大学院生。現在博士課程1年目。自閉症とコミュニケーションについて研究中。転勤族家族なので、日本中がホームタウンのつもり。仕事はパートタイムで、消費生活系相談員してます。コメント大歓迎です。

自分のキズを最小限にする方法

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「どうして私、誤解されちゃうんだろう」と悩んでしまうこと、ありますか?

 

私は以前、ずっとこの「誤解されて悲しすぎる」と自分でくよくよしてしまう人生を送っていました。

 

ふと今日、大学院の授業を受けながら気づいたことがありますので、シェアーしてみようと思います。

 

良い原著論文を読め!そこには極意が書いてある

今日は研究技術論の講義を受けて参りました。3時間近くかけて、先生の解説で英語の原著論文を読んできました。ええ、まだこの瞬間、頭ぐつぐつと沸騰中です。

 

科学にはお作法があるのです。明快なやり方にのっとって論文が書かれているので、英語で書かれていてもとてもわかりやすいのです。いえ、かえって英語で書かれていた方がわかりやすいと言ってもいいかもしれません。内容を理解するという意味では、小説の方が「隠れた前提条件」が多くて、はるかに難しいと思います。

 

私は今まで医学論文を読むような生活をしてこなかったので、大変ハードルは高いのです。でも、ホントこの世界に足を突っ込んでよかったなあと思います。

 

 

本日担当の准教授先生が、何度もおっしゃいました。「今日読んで皆さんも実感したでしょう。格の高い論文はとても読みやすいよ。ちゃんとデータや数値を出して説得できているでしょう」と。

 

そして「よくある悪い例はほら、住民の皆さんは誤解しておられますとか言うやつだよね。こういう場合は、根拠やデータをきちんと出す必要があるからね。説得できていないのなら、科学の場合は当然やるべき努力を、どこかで怠っていると考えるからね」と。

 

ふむふむと思いました。そうなのです、私が数年前までの何十年も「傷つきやすい弱い心」を持っていたのは、実はこの説得の視点が欠けていたからなのです。

 

人と交渉して傷つくのが嫌さに、まず、そういう面倒を避けていたのです。人を説得しようとは思いませんでした。それよりも黙り込んで「相手が勝手に誤解するのに任せている」状態でした。

 

私が何も言わなければ、つまり私から情報が出されていなければ、それを相手が読解しようとしても読み切れませんよね。データがなければ考えようもありませんよね。そうなれば、その人のいい風に考えるしかありませんもの。

 

そして挙句の果てに「私は誤解されてしまって、悲しい」を、永遠のループのごとく繰り返していたのです。気がついた今では何たること! と思います。ですが、それにすら気がついていない時代は、ただひたすら「人に傷つけられた感」満載で生きるほかなかったのです。

 

ね。自分の傷を最小限にする方法は実はこんなに簡単なのです。自分から率先して、自分のデータ、自分の取扱説明書というものを相手に説明すればいいのです。情報開示すればいいんですもの。

 

自分はこう思っている。その根拠はこうだと伝えれば、誰も曲解しようがありません。自分を守るために、自分の殻に閉じこもる作戦が一番、自分の傷を深くしてしまうのです。

 

どんどん表に出ていきましょう。自分の気持ち、自分の状態を表す言葉を、自分の中にたくさんストックしておいて、適宜取り出していきましょう。そのことはきっと、明日、明後日と毎日どんどん幸せに変えていくと思います。