上手に人の心をとらえる人が、自然体でやっていること
もし何かアナタに迷いがあるとしたら。その答えは、自然の中、あるいは子ども達との自然な会話の中から拾い上げることが出来るかもしれません。
今日は、私が学んだ「人のこころをツカむ人の、自然な振る舞い」について書こうと思います。
子ども達との遊びの中で知った、絶対の法則
ここ最近私は、自分にとっての重要な仕事として、発達障害のゾーンに属する子ども達の会話パートナーをしています。もちろん、大学院での学びに直結しています。子ども達がいるから大学院の学びが理解でき、大学院での講義がすぐ、目の前の子ども達に活かせるからです。
ですが最近は本当に、彼らのお世話を私がしていると思っているのは全くの間違いなのだと思い始めています。実は彼らこそ私の真の師なのだと思うことが度々です。
自閉症という幅のある世界で生きている子は、チャレンジ(困難を感じるもの)の幅がとても広いのです。中には天才的な頭脳の子もいるようですし、シビアな状態の子ももちろんいます。状況は個人個人違いますし、成長によって数か月前と全くコミュニケーションの様子も変わってきます。決して一定ではありません。ただ、どの子も何らかのコミュニケーション上の困難は抱えてはいるようです。
この子達に接する自分を考えると、とても大切なことに気がつかされます。いつの時も「人間として私は基本が出来ているかどうか」を試されているように思います。
どんな基本かと言いますとね。
コミュニケーションの基本なのです。人として人に向かいあう時、自分が分かりやすい表現をしているかどうかとかなど。そういうことはもちろんのことですが、それよりももっと深い部分で、基本が出来てるかどうかを問われ続けています。
コミュニケーションの基本てなんだと思います?ずっと誤解していましたよ。私は実は。
良いコミュニケーションって、自分がポライトリー(上品とか、礼儀正しい)とかが大事だと、ずっとずっと思ってきました。ポライトリーであることや、昨日書きましたエレガントであることは大事な要素ではあるのですが、基本かと問われると少しずれがあるのです。
もっと深い部分での基本、それこそが、「自然体である、自分のこころに素直である」ということなのです。
この写真の美しい子ども達のように、子どもは好きな事にそして好きな人に、まっすぐ向かいます。目の前に広がる心躍るものの存在に、体全体でウェルカムを表現していますよね。これこそが、人としての在り方で、とてもとても大事なものなのです。
私のお話をしましょう。
ASD(自閉症スペクトラム障害)の子と対応するときに、たまに自分からすると、突拍子のない応答に出くわす時があります。もちろん彼らにとっては、別に突拍子のない返答ではありません。でも私にとっては予想を裏切る答えなので、とっさに「うっ!」っとなって言葉を飲み込んでしまいます。
こういう時にね、私は「ああ、そうだよな。彼はこう思っているに違いない」と勝手に彼らのこころを自分の色メガネで見てしまうのです。でもこれ、自然なやり方ではありません。
どういうことかと言うとね。誰でも、疑問に思ったら普通の場合、聞きませんか? 相手にちゃんと。「え? 自分はこう思ったけれども違ったかな」とかね。あるいは、「うわ~、私はそれはいいと思う(あるいは悪いとおもう)」と表明しませんか。そうすると、相手も自然に自分の考えを表明できて、さらに会話が弾むでしょう。でも目の前の人がぐっと言葉を飲み込んでしまったら、その場で会話はストップなのです。
私の場合、そういう「自分の気持ちを素直に相手に伝える」ということを、今までほとんどやってこなかったのです。言葉を飲み込んでしまうのです。でもそういう時は必ず、こちらのこころの中では「決めつけ」が発生しているのですから、相手にとってはたまったものではありませんよね。
言葉に詰まってそれ以上の行動をしない人は、相手に興味があるわけではないと相手に伝えていることになるのです。子どもは知っています。「ああ、こういう人はその人自身の考えだけに興味があって、ワタシには興味ないんだな」と。
興味や関心を同じくする人の集まりが仲間です。仲間には誰でも心を開きます。でも、心を開いていない人には、誰も心をオープンにしたいとは思わないですものね。誰でもね、「勝手に誤解するんではなくて、本当のところを聞いて欲しい」と思いませんか。
私も逆の立場なら、確実にそう思うはずです。でもなぜ私は良かれと思って言葉を飲み込んでしまうのでしょう。反省すべきはそこなのです。私はこれから全人生をかけて改善すべきは、こういう「オープンな私になる」というところなのです。
素直であること。
自分の感情に正直になること。
この二つの基盤に立つことを、どうやってしても私は手に入れなければなりません。そりゃ48年、自分の言葉を飲み込む選択をしてきた人ですので、乗り越えていくのは容易ではないでしょう。でもコミュニケーションの原点であるこの部分をスルーして、次に進むことはまったく効果が出ないのです。
もちろん注意点はあります。え? っと思ったからといって、いつもいつも相手を質問攻めにするのは、良くありません。
他の人同士がしゃべっているときに、自分がそれを横で聞いていて、無理やり割り込んで質問や確認をするのも、エレガントではありません。あくまで自分と相手が主体的に話しているときに限ります。
自分の感覚を素直に自分でつかむ。表現する。それは実はとてもエレガントなことなのだと思います。相手を攻撃するのではなく、相手を自分の狭い視野で決めつけるのではなく、事実を事実として認める。
自分が理解できていないことを、理解できていないと言うことは、実はとても勇気がいります。私はその勇気を持つことを、怖がっていたのでしょうね。でもこの勇気、持っている人ほど誰にも貶められない生き方をしているのが事実です。
ホント、子ども達は教えてくれます。知ったかぶりをするウソつきの大人を、誰も子どもは本気で相手にしません。本当に楽しくその分野を泳ぎ回っている人は、年齢を問わず、子どもは何にも言わなくても、すごく尊敬しています。
自分の感情を素直に受け取り、味わうこと。目の前の人をおろそかに扱わないことは、両立できます。それこそが次へつながる大事なことなのだと、昨日の私はまた学び直しましたよ。
さて、今日は家族と一緒の一日になります。彼らもまた、私の重要なこころのパートナー。昨日の学びをもとに、どんな私として夫と息子とのコミュニケーションの場を作り上げることが出来るか。少しだけ前進した私として、一日を過ごしてみたいと思います。