アラフィフ、大学院生活を楽しんでみる

中年クライシス真っ只中の社会人大学院生。現在博士課程1年目。自閉症とコミュニケーションについて研究中。転勤族家族なので、日本中がホームタウンのつもり。仕事はパートタイムで、消費生活系相談員してます。コメント大歓迎です。

くるりと一回りして自分の原点に戻ると、そこで出会うものとは。

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「もしかして、手帳のリュウコさんでは?」

 

昨日、地元のメガショッピングセンターで野菜やキノコを買い物かごに入れていたときのこと。私は声をかけてもらいました。こういうことは、とてもとても珍しいことです。何年か前の手帳時代に講座でお会いして早数年。よく雑踏の中、私を見分けてくださいました。

 

「ああ原点に戻ったのだ」

立ち話を数分、そこでとても懐かしい方の名前が出ました。クローバーさんと申し上げたら、手帳界隈の方々には忘れられない大切な優しい姉のような方です。金沢で、立ち話でこのお名前が話の中で出ることは、天文学的な確率の低さなのです。

 

ただの偶然の出来事ではあるのです。でも私はこの日なぜか「ああ原点に戻ったのだ」と強く感じました。

 

クローバーさんに出会ったのは、私がなんとか一歩家から出てこれぞと思う講座などに通い始めた頃でした。会った瞬間から包み込むような柔らかいオーラ(とでも表現すればいいのでしょうか)で、目の前の人の心を和ませてくれるのです。あれほど細い方なのにまるで神社仏閣にある大きなご神木を思わせる方でした。

 

これからどうやって自分の人生を立てていっていいのか、全くの五里霧中の状態の私でした。でもその頃から、何かが変わっていったのです。こういう先達たちの一挙一動から、素直に学べばいいのだと気がついたからです。

 

愚直に学べばいいのだ、出来てないのならトコトンまで一度やってみればいいのだ、そのための教材は山のようにあるということを教えてくれた方。

 

もうどうやってしても会うことは出来ない方なのです。川の向こうに行かれてしまった方なので。でも、どんな瞬間にも人は人の中に生き続けることが出来るのだと、その日私は明確に知ったのでした。

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最初の出会いから何年も経ちます。私は住む場所も変わり、意義のある仕事も得、子どももヒヨコだと思っていた子がもう羽をバタつかせる年になりました。状況は大きく変わっているのです。

 

今、大学院の学びが始まりました。授業を昨日までに4講座受けましたが、とてもとても自分にとっては衝撃的な時間でした。一年生に入学してきた皆さん、それぞれがすごいキャリアの方々でした。講義を受けながらなぜか自分を恥じていました。どうして自分はこんな場違いな場に来てしまったのかと。

 

講義の内容が素晴らしいだけに、頭をフル回転させてやっとついて行っている自分と、周りの方々のすずやかな顔を見比べて、ため息をつき始めていたのがまさに昨日。その日が来ることを知って、偶然が偶然を連れて来てくれたのかなと、感謝せずにはおれません。

 

でも大事なことはね。偶然は偶然には来ないのです。こうやって人から人を通じて、自分の元まで届けられてくるのです。

 

自分は自分。私はまた一回りして、学びの場に立ったということを思い出せば、もう何も怖くありません。知らないことを知るチャンスがあるということは、恐怖ではなく、喜びなのです。

 

この年になってもおそらくこの先も、私は出る先、行く先で年齢は高くても一番キャリアのない人かもしれません。でもそれを、なんにも恐れることはないのです。そう教えてくれた方が、私の人生には確かに存在したのです。分からないことは知ったかぶりせず素直に学び続ければよいというだけの事だったのです。

 

知らないことを知っている! と言いたくなった時が一番、人生ではつらい時期なんですよね。知らないことを認めちゃえば、なんと楽になるのでしょう。そしてその分野では知らないこと満載でも、自分の経歴でなにか他の方にお役に立つ部分はどこかにある可能性はちゃんと残されていますもの。

 

ぐるり~っと人生を回ってきて、そこで出会ったのはなんとも鮮やかに人生を生き抜いた方がもたらした温かさだったのです。誠心誠意目の前の人と向かい合う生き方をすることの大切さを、今一度思い出す日が来たのです。

 

人は人に出会って、その価値を倍増させるのだ。いずれ、何年か先、誰かがふと過去を振り返って「そういえばそこにあの人が確かに居たのだ」と思ってもらえるように、今日一日を生きてみようと思います。