アラフィフ、大学院生活を楽しんでみる

中年クライシス真っ只中の社会人大学院生。現在博士課程1年目。自閉症とコミュニケーションについて研究中。転勤族家族なので、日本中がホームタウンのつもり。仕事はパートタイムで、消費生活系相談員してます。コメント大歓迎です。

手帳が私にくれた物は、フォレストグリーンと新車一台分の価値(後編)

 

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 手帳と新車一台分の価値が大学院でつながると言ったら、アナタには不思議なことでしょうか。私はとても大きな気づきとなりましたので、この価値のお話をぜひシェアーしたいと思います。

 

では、フォレストグリーンの話から続く、手帳シリーズのお話をご覧ください。

  

新車一台分の価値を、何十倍にも活かす場所に巡り合った話

先週半ばのことです。急きょ、大学院での教授との面談が設定されました。今後の研究の方向性を定める必要があるからです。

 

金曜日の午後に研究室においでくださいとお返事がありました。私は朝の会合後、桜の開花の音が聞こえそうなピンク色の道を、大学へと上って行きました。

 

大学院博士課程に入るにあたって、研究計画書を大学院に提出しています。入試の判定に大きくかかわりますし、大学院にとっても私を知る重要な情報になります。

 

もちろん、計画の段階で、すでに指導教官とは方向性についてお話はしてありました。でも、実際本当にこの3年間で、今の私の持っている能力と環境で実行可能なのか、再検討しなければなりません。

 

私が望んでいることは、「親と子の関係性をどう支援していくか」です。コミュニケーションとはいったいどういうものなのか、はたして私たちはそれをどう会得しどう使いこなしているか、またどうやって支援の場に活かしていくかを、知りたかったのです。

 

本当に有効なメソッドというものは、使い道が限定されません。つまり、決して発達障害の親子の支援に有効であるものは、当然すべての親や子の関係性に使えるものになるということです。

 

どういうことかというと。例えば、とても歩きやすく整備された道があるとしましょう。桜の花が満開で、小川のせせらぎや小鳥の声も聞こえてきます。

 

この道は車いすの人や、足を怪我した人、視力の弱い人にも通行しやすい道です。ではこういう道は、元気な子供には不向きでしょうか。いいえ、むろん彼らなりの楽しさを見つけて、元気よく駆け回るでしょう。それと同じことです。

 

当日の話し合いは、研究の方向性はやはり、当初の計画分は要検討ということになりました。自分がやりたいアイデアをやるには、私の場合、力が足らなさすぎでした。

 

教授はその辺を十分かっていらっしゃって、もし私がそれでも強行したい決断すれば、ご自分がフォローを引き受けざるを得ないと覚悟までなさっていたようです。

 

というわけで、仕切り直しです。やりたい事があるアプローチしたい人がいるということが大事なのでと、教授には励まされました。大学院ですから、やりたいことがない人が来る場所ではないということなのです。

 

その上で、まずは論文を読み進み関連分野への理解を深めることとなりました。教授はにっこり笑って査読付き論文3本を手渡してくださいましたが、一本は英語でした。ふふふ。

 

そして、ここの博士課程のカリキュラムは一年次は大変だよとおっしゃいます。講義を10単位(5授業)以上取らなければならず、社会人には負担が大きいということなのだとか。

 

でもね。私の所属している院の1年次導入課目、どの講座も内容が本当に魅力的なのです。医学、心理、教育のそれこそ日本有数の先生方が講義を担当するのです。

 

校舎が5つの大学にまたがっているので、講義は各校の先生方が出しますが、それを私は基本地元の校舎でビデオを通じて受講します。遠隔地の方は、数時間後から自宅のパソコン環境で受講し、毎回レポートを出すことになります。(社会人に対応したシステムですね。)

 

発達障害支援の現場にいますと、相談にいらっしゃるお母さん方は私達支援者が、どんな分野にも精通している前提でお話をなさることがあります。診断の方法も、お薬の話も、脳のことも、睡眠のリズムについても、学校対応も教科の勉強方法についても、何もかもです。

 

私はですから、開講予定の14講座全部取るつもりでいました。先生にその旨お伝えしました。

「あ、やはり先生がおっしゃるように、すごく大変でしょうか。私、実は内容があまりにも魅力的なので、全部受講予定にしているのですが」と。

 

教授はにっこりほほえんでおっしゃいました。

「毎日学校に通うことが出来れば大したことはありませんよ」

 

あ、でも教授の大したことないというレベルは、私にはとても! たいしたことあるレベルであることがたまにあります。入試の際も、英語は辞書持ち込み可だから大したことないよとおっしゃっていましたが、結果は推して知るべし。

 

そしておっしゃいました。「大学院に入ったということは、新車一台分ぐらい(の金額が)かかるでしょう。せっかくだから、取れる講座はどんどん取って、貪欲学んでください」と。

 

雑談ついでに、いろいろなことをお聞きしました。私は今年の新入生の中ではおそらく最年長でしょう。でも過去に入学された先輩には、大学の先生を定年退官されて(つまり65を過ぎて)から、当該院に進まれた方もいらっしゃるとか。

 

教授はおっしゃっていました。「新しい分野に果敢にチャレンジされることが、本当にすごいことだと思います。その年で知的好奇心を失わないことが、素晴らしいですよね。この方も、ほぼ毎日大学に通われて、講義を取られていましたよ」と。

 

今回、自分が新車一台分の価格を払う立場です。でも、得られる情報量や環境、使える人脈、考え付くあらゆる面においてその価値は、お支払の額の何十倍にもなって私の元にリターンしてくるでしょう。

 

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手帳の神髄ととてもこのあたりが似ていると思います。使いはします。でも受け取るものは、十二分に価値のあるものにするという決心をし、そのように行動するということなのです。

 

手帳ではね、自分が使っている時間の濃度や密度がより高いモノになっていくように、少しづつ自分を設計していくことが大事です。使う価値のある時間なのか、使用するメリットのある道具なのか、いつも楽しみながら取捨選択してくための見える化ツールが、手帳だと私は思っています。

 

大学院は、それをもっと「社会に還元していく」という色を明確にして行動していくことになると思うのです。だから、いつも検証し、実験し、行動しと続くのです。

 

どちらも、「自分と自分のやっていること、そして社会とのかかわりに対して、知的好奇心を失わない」ことが、すべての基盤にあるのです。そしてなより、やりたい事興味関心のあることがどこか共通している人々がいる場なのです。

 

手帳で自分を確認しながら進む生活は、メリットが大きいと感じています。知りたい事を知る、全部の自分を使って進む。でも体力を浪費するようなことはしない。

 

自分の歩いた後に、道はできる。そのすべてを手帳は知っていてくれるから、何も孤独ではない。そしてなにより、手帳仲間という「私と興味関心を同じくする仲間」が、そっと私を応援していてくれるのですからね。

 

手帳を、仲間と巡り合うパスポートとして私は使っていました。大学院も「その本質を明らかにしたいと行動する人々」が出会う場なのです。

私は迷わず今目の前にある細い糸を手繰って、進もうと思います。