毎日が新しい一日。大学院のガイダンスに行ってきました。
毎日は同じように見えて、実は毎回、まったく違う朝を迎えます。
大人ですらそうなのですから、子どもならなおさらでしょうね。
今日私は、生まれて初めての経験をしてきました。
大学院のガイダンスを受け、学生証を手に今帰宅したところ。
48年生きてきて、どの過去の一日とも似ていない日となりました。
大学院ガイダンスで出会った新しい刺激
私の進学した院は、5大学が集まって一つのとてもユニークな大学院を形成しています。
各専門領域ごとに、配属大学が違います。
私を含めて4人が、こちらへの配属ということでご一緒してきました。
一年次は導入課目として授業(単位)を複数取ります。
私のように社会人入学生にも配慮された、夕方からの授業となります。
二年次以降が高度専門科目と、論文へ向けて行動することになります。
授業は、ビデオ配信の形で受講します。
例えば、大阪から出た情報を金沢で受けたりという形です。
もちろん、こちらから各大学へ配信する授業もあります。
今どきの大学は、セキュリティーがすごく厳しいので驚きました。
授業を受ける教室(会議室)は、電子キー操作必要。
土日や夜間などは、大学の学生証(電子カード)がないと入れません。
私たちは、形としては基幹大学院の学生なので、こちらの大学院の学生証を新たに作ってもらっているところです。
1~2週間ほどかかるようです。
こちらの学生証が出来上がってくるのが楽しみです。
授業は来週から始まります。
やり残した予習、そろそろラストスパートかけなければなりません。
それにしても、集まった方々の熱意がアッパレで、人生でこれほど「目が飛び出しそうな」刺激を受けたのは初めてでした。
日本人は私ともう一人。
残りのお二人は、西洋系の方と、アジア系の方。
地元民(暫定的ですが私は金沢を今は本拠地にしてます)は私一人。
なにしろ歩いて15分ですものね。
お一人は新幹線で通学予定の方で、ご家庭もお仕事も立派にこなされている様子。
国外からいらしたお二人も、とてもにこやかに場に参加されていて。
私と日本語で普通に会話したと思ったら、教授とは英語でコミュニケーションをし、お二人同士はなんと、ロシア語で談笑されていました。
ふむ。
以前の私でしたら、この時点で顔面蒼白で壁の花になりたいと切望していたでしょう。
が、やるからにはトコトンやらねばです。
せっかくですから、一年後にはお二人の母語でご挨拶できるように、楽しんでみようと思います。
こういう経験、10代とか20代前半とかの人生の初めのうちに出会えれば、どれほどよかったかとは一瞬思いました。
でもね。
なんのなんの。
この年になって、こんなに新しい一日を手にできたことの方が、喜ぶべきことなのだと思いました。
私が所属するのは、発達障害を専門に扱う大学院なのです。
子どものこころをいかに育てていくか、この場での学びを社会に還元して行く必要があります。
脳を医学的に解読し、新しい教育方法を開発しますし、心理アプローチを深めます。
一つのことを深く学びながら、いかに視野を広げるか。
日本だけではなく、地球上どんな場所で育つ子どもにも幸あれと願う人が集まる場です。
そのためには、視野は広ければ広いほど良い。
学びの場だけでなく、普段から意識していくべきことなのだと思いました。
本当に、すごいチャンスに巡り合ったものだと感謝の数時間を過ごしました。
さび付いた頭をゴリゴリ磨きながら進むことになるので、私にとっては大変な世界かもしれません。
でも今日、やっぱり思いました。
「勉強できるって、素晴らしい!」って。
人生の本当に最初期のころ。何か学べるって、どれほど楽しみだったかという気持ちを思い出しました。
ちょうど、幼稚園児だった私が、小学校の入学式を待ちわびたように。
お教室の机に座って、はじめて大きなマス目に、「あ」という字を書いた時のように。
もう一度、自分には学べる日が来たのだと、6才の自分が感じた喜びと同じ嬉しさをかみしめました。
毎日はどんな普通の日であったとしても、それまでの朝とは違う朝が来るのです。
ただ、うっかりしていると、見過ごしてしまう小さな差が、かくれんぼしているのです。
だったら、どこが昨日と違うのか、自分で探せばいいのです。
見つけてみましょう。明日も。明後日も。
生きている限り、一つとして同じ時空は通らないのですからさ。
喜びを探せば、喜びが見つかる。それが真実なのだと思います。
さあて、明日はどんな新しい一日が私にやってくるでしょうか。私は嬉しさ楽しさを探してみようと思います。