アラフィフ、大学院生活を楽しんでみる

中年クライシス真っ只中の社会人大学院生。現在博士課程1年目。自閉症とコミュニケーションについて研究中。転勤族家族なので、日本中がホームタウンのつもり。仕事はパートタイムで、消費生活系相談員してます。コメント大歓迎です。

専業主婦はもしかしたら、「選びたい放題の人生」への切符を持っているかもしれない

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「だって私は、三文安い人間ですから……」

 

私はずっとずっと長い間、自分をそう表現していました。

 

現在40代最後半の、どこにでもいる普通の人。

人生の3分の1くらいを転勤族専業主婦として、無味乾燥状態で過ごしておりました。

 

趣味らしい趣味といえば、子どもの通っていた小学校での読み聞かせボランティアと過去に習った津軽三味線

 

頼りの綱のボランティアも、子どもが高校生になった今では参加の当てもなし。

津軽三味線にいたっては、東北時代はよいお師匠さんと朋輩に恵まれ楽しく練習できたものの、移動先の今ではどんどん手も忘れている始末。

 

社会にお役に立つ、あるいは還元できるような技術も技量も、なにもない。

頼りになる国家資格も、もちろんない。

教員免許だけは持っているが、教員として働いた実績がないのではどうしようもない。

 

専業主婦だもの、では家庭経営のプロかと言われれば、こちらの方こそ怪しさがマックスと化す。

料理洗濯一通りはするが、広い世の中を見渡せば、おそらく平均点以下の出来。

おもてなしや心配りなど、女子力と呼ばれる類のものは全くもってお恥ずかしい限り。

 

きらきらしい人生など、永遠に自分のモノにはならない。

夫と子供の生きる手伝いだけの人生なのだ、もう自分の命は消化試合でしかないと自分に呪いの呪文を投げかけていた日々。

 

三文安い人、無価値な人のまま人生折り返し地点まで来たその時、事件は起こったのです。

 

 

「オラフかわいい!」からすべては始まった

それは今からほんの数年前の夏のこと。

家族旅行の帰り、飛行機内パーソナルテレビで息子くんは「アナと雪の女王」を見たのです。

 

あの日からすべてが変化したのです。

彼はあのお笑い雪だるまキャラ・オラフに、魅了されてしまったのです。

朝起きて寝るまで、「オラフかわいい! 」「オラフ面白い! 」状態。

英語を聞いて、母語の日本語のように意味が分かるようになりたいと思ったらしいのです。

 

実は彼が生まれてからずっと、なんとか彼を英語好きにしたくて悪戦苦闘していたのはこの母でございます。

 

あらゆる手段をつかって(家庭内財務大臣の)夫を説得し、ベビー英語教室に連れていったり、機関車トーマスの英語のビデオ(当時はまだビデオだったの! )を見せたり。

 

はい。見事に空回りでございました。

力技で子どもを引きずって連れて行っても、当然結果など出るはずもありません。

 

彼の興味を刺激することは全くできず、すべて受講料をどぶに投げ捨て続けていた状態だったのです。

 

ところがです。人は「自ら好きになったものは、とことんやるし、できるようになるまでやり続ける」のです。

 

それからの彼は、親が止めてもエイゴ英語えいごです。

いろんなサイトからダウンロードした英語を、聞きまくる毎日が始まりました。

 

あまりにうるさいからとオーディオのコンセント引っこ抜いても、次の瞬間違う部屋のコンセントにプラグを差し込んでいます。

 

ナイスと思うことを、実際に行動に移してみれば、行動そのものを楽しいと感じる。

 

面白くなるからこそさらにもっと行動したくなる。そして良い行動が加速する。

 

そんな彼を見て、ある日、母たる私は気がついたのです。

 

「自分に呪いをかけている暇があったら、自分が楽しそうだな~と思っていたことを、一度とことんやってみればいいのでは? 」と。

 

 とことんやると決めた

自分にはやりたい事、やらねばならないことがたくさんありました。

 

同世代の友人の一人が、2年ほど前に難関を突破し大学院へ進学しました。

 

それを見て、心の底からかっこよい素敵なことだと思いました。

彼女の行動力をなんとうらやましいことかと思っていました。

 

でも、思っているだけでは、何にも自分の人生には得る物はなかったのです。

待ってても、ぼた餅のごときキラキラしいことは、どこからも私のもとへ降ってきませんでした。

 

実は自分も、ここ数年は教育相談や、消費生活相談の仕事をはじめておりましたので、勉強は待ったなし状態だったのです。

法律も時代に合わせてどんどん更新されますし、効果的な教育方法も開発されてきています。

 

院へ進学した友人から、学ぶ楽しさ、一流の学者さんたちの真摯な生き方と面白さを聞くにつけ、よしとことんやるなら一番難易度の高い場所へ出ようと決めました。

 

なんということでしょう。あれほど嫌っていた自分の生き方つまり主婦経験が、以外な形で私に力を与え始めました。

 

実は主婦って、毎日小さなことながら「選び取る」をやり続けています。

 

例えば大根を一本買うとしましょう。お店に行けば山と積んであるその中から、どれが自分の現状にとって最適な一本なのか、選んで買い物かごに放り込んでいます。

 

これとこれならどれがいい?どの食材が一番、お財布の中身を価値あるものにできるのかな。

スーパーの棚の前で、即決即断ですよね。

 

もちろん、学ぶためには軍資金が必要です。

どこからもお金は注ぎ込まれるわけではないので、大人は働いて自分で用意するほかありません。(奨学金という手もありますし、学資ローンもありますが。)

 

大きなお金でも、小さなお金でも、規模が変わっただけでお金はお金。使うということに関して細心の注意を払うのも、主婦でやってきたことでした。

 

家庭もあるので、家族間での調整ももちろんありますけれどね。

 

使うなら、一番ステキな方法を、そして自分にとって最高に楽しい方法を考えよう。

自分が学ぶことが、家族に良い影響を及ぼすような、そんな方法を自分の責任をもって選び取ろう。

 

費用対効果を考える。

大根を買うのも、学ぶ場所を決めるのも、頭の働かせ方(行動)は同じ。

 

一番、自分の人生が活きる方向へ動くように考えるのは、方法としては、大根をいかにチョイスするのかと、なんら差はないことに気がついたわけです。

 

数日前、この春からお世話になる大学院から、「入学許可書」が届きました。

これも一つの、自分の人生にとっての大事なチケットになりました。

 

専業主婦はもしかしたら、いえ、やっぱり確実に「選びたい放題の人生」への切符を持っているような気がします。

 

4月には行ったらすぐに、オリエンテーションで授業登録があります。どの講義を取るのかこれもチョイスです。

 

選びますよ。自分の人生ですもの、自分の手で。

 

子どもが赤んぼのうちは、たしかに全く自分の時間は無かったのです。

でも彼ももう、一人で自分の人生の方向を決めようとして、助走を始めているのです。

負うた子がすでに肩から降りているのに、私が腰を重くしていてはモッタイナイ。

 

私の過去に実績はない。

でもだからこそ、今からの未来にはどんな小さなことでもすべてが私の宝物になりうるチャンスがある。

 

 これからはこのブログで、日々のいろんな発見や、大学院事情、教育や消費者問題など、私の網にかかった小さな面白いことを書き綴っていきたいと思います。

 

どうぞよろしくお願いいたします。