手帳術流が人生を劇的に変えるのは、きちんと理由があったのです
「むむむむむ。そうだとすると、手帳術流は人生を変化させる力がハンパない訳だわ」と、今日の大学院の授業を受けながら、うなっておりました。
はい、今日の5時間目は、認知行動療法の授業でした。学習原理から行動療法、そして認知行動療法に至る道筋を学んでまいりました。
そこで出てくる論文を教授が解説してくださいましたが、私から見ると、手順がどうにも手帳術流なのです。というわけで、今日は本当に自分を変化させていくための、手帳術流から見た視点を書きたいと思います。
自分をノリノリに、のせるのです
心理療法の授業は受けていて、「は!」っと気づきが湧き上がることが多い楽しい授業です。今日もとても面白いことに気がつきました。
そうなんです。7年前になりますか、私が半分眠ったような人生を送っていた時に出会った手帳術流。その考え方がぜ私をここまで導いたのか、明確にわかったからです。
今日は行動療法の入門ということで、教授のお話をじっくりお聞きしておりました。臨床ではまず、クライアントさんを何週間かかけてじっくり観察します。そして適切な行動ができるように学習を重ねていきます。適切な行動の質が高くなるように、また量が多くなるように学習していくということですね。
そのように訓練していくかというとね、一言でズバリいうと「ノリノリにさせる」のです。観察でその人の興味があることを洗い出し、のりのりの気分にさせて、良い行動をどんどんできるようにしていくわけです。
大人でも子どもでも、好きなことには「がんばれる」でしょ。やはり何事かを成すには、どうしても自分から進んで「楽しいから、やってみたいと思う、頑張れる」が必要なのです。
その行動をすることが、「苦にならない」ことが何より大事なの。「居心地よく、苦にならない行動を集中して行う」ことが、やはり次につながるのですよね。心理療法だと、それをお医者様とか心理士さんたちが徹底してアレンジしてくれます。
でも、ここまで書けば、そう手帳術流の生き方をしている人には、もうピンときましたよね。まさに手帳術っぽい流れだと思うのです。私たちは、この一連の流れをセルフでやっていることになるのです。
手帳を自分の友として、どんどん書き込んでいくことで、「自分で自分の良いところ、改めたい所をあぶり出していく」のが、ファーストステップ。
そして、こういう部分は変えていきたいなとか、この部分はこの時期最も力を入れて取り組みたいな! と思う所が見つかったら、楽しい文具やかわいいグッズを利用することで自分をノリノリにして、取り組んでいきますよね。
手帳を見るだけでも気分が上がるように作るのが、手帳術流の極意の一つでしたもの。気分が上向きになるということ、それが手元にあるだけで安心して行動ができるということは、本当に大事なことなのです。
日常で自分のストレスをほどき、良い行動を積み重ねて、次の自分を作って行く。それが自然な行動として出来上がるシステムがある。これね、ぜひ皆さんに使って欲しい考え方です。
自然な振る舞いができるというのは、とても重要な部分です。自分の性格はそう簡単には変えることはできませんが、行動は即座に変えることが出来ますもの。行動をし続けることでいつの間にか、あれほど難しかった思考パターンも変化させていくことは可能なのですから。
手帳に限ったことではありません。自分をよく映し出す「心の鏡」があれば、それでよいのです。そしてそれをできるだけ「外部に映し出す」ことなのです。やりたい事をどんどんやっていくことなのです。
こう考えると、ね! 誰でもいつでもできる事ばっかりなんですよ。人生、穏やかに豊かに自分の手で楽しみましょうね。
自分の要求を、相手に真剣に聞いてほしい時にはね
私の話を、要求を、真剣に聞いてほしい! と思うことありませんか。
そういう時に、ぜひやって欲しいことがあります。すごく伝わりやすくなりますし、相手も聞く耳を持ってくれる方法があるのです。
実は、大学院での意思決定支援の授業で聞いた話なのです。でもどうも私、海外旅行の計画の際に使ってますわ。よく考えれば、自分の行きたい場所に行けるのも、家族会議でこの方法をつかっているからなのだなあと思うのです。
え? 知りたいですか。では今日は意思決定の時に使う交渉術のお話をしましょう。
気をつけることは、たったの二つなのです
今日は本当に簡単な話なんですよ。でも行きたいところに行くには、これをやらないとやっぱりたどり着くのが難しいのです。
たったの二つのことを、自分の基本に据えるだけでいいのです。
◇具体的に話す
◇相手のメリットを提示する
はい、これだけです。
例を言いましょうか。そうですね、例えば自分がリゾート地に行ってみたいと思ったとしましょう。自分の頭の中には実はこういう時に、ピンポイントで行ってみたい場所はあるのです。私の今の気分場合でしたら、ハワイですな。
ではどうやって夫に交渉すると良いと思います?
「リゾート地に行きたい」と伝えれば、夫は必死に考えてもしかしたら彼の好きな山登りのできる屋久島に連れて行ってくれるかもしれません。ウミガメも見れますしね。もちろん私も屋久杉巡りしたいですよ。
でも私の頭の中には、ダイヤモンドヘッドとか、ワイキキの浜辺とかが描かれているとしたら、いくら夫君がフルパワーで計画してくれても見事な「計画倒れ」に陥ってしまいます。
それ以上に、二人ともに不満が残ってしまうでしょう。夫君は「これほど僕が考えて行動したのに、何にも喜んでくれない」となりますし、私は私で「なんで私の気持ちを分かってくれないのかな。この間のニュースの時に、ハワイはいいね~って言っておいたのに」などとね。
ほら、こういう失敗話を聞くとよくわかりますよね。(あ、まだ今年の旅行の計画は立てていないので実際は失敗してはいませんが)
もしハワイに行きたいのであれば、具体的にどこで何したいのかを相手に言うといいのですよ。「私はハワイのロードサイドの、フリフリチキンが食べたいのよ」とか、「マラサダ(ハワイ風揚げパンドーナツ)をがぶって食べるの」とか。あら、食べる話ばっかりですね。
そしてもう一つ、その場所に行ったら、相手にどんなメリットがあるかを話します。自分のメリットばっかり相手に伝えたら、そりゃやる気も気持ちも冷めてしまいますもの。我が家だったらハイキング好きなので、ではダイヤモンドヘッド登山とかしたいでしょとかの提案をします。お宿も外食があまり好きではない家族ですので、だったらバケーションレンタルを借りて自炊をメインにしましょうとかね。
そしてなにより、「この旅行が実現すると、私に今以上に感謝されちゃいますよ」と伝えます。ええ、これが実現しなくても感謝されていることを伝えたうえで、もっと好かれると言われたら、やはり気分良いですよね。
交渉事って、自分の心の中ってなかなか相手には伝わりません。やはり一度頭の中の映像を取り出して、相手に見せる必要があります。画像そのものは頭の外では再現不可能なので、ではどうするか?
そうなのです、言葉で「映像が相手の頭の中で再現できるように」とても具体的に伝えるということ以外に方法はないのです。プラス、相手にも十分な利益の取り分があるようにね。
10年ほど前の私は、この交渉あまりうまくはありませんでした。どちらかと言うと「力技」で押し切ってしまうやり方でした。でも最近はこういう交渉のコツがわかってきましたので、使っています。
そうなんですよ。普通に交渉を続けていると、いずれ上手くはなるのですが10年とかかかってしまうのです。でもこうして最初から交渉のコツがわかっていれば、今日今からすぐに達人です。これからは迷うことなく自分の交渉の進路は、いつも青信号で進めますよ。
具体的に話すことと、相手のメリットを提示することの二つ。交渉術について、准教授先生に聞いたお話ですから確実です。これさえキープできれば、交渉事で道に迷うことは激減してくるはずです。そして相手に負担をかけることなく、自分の要求を相手に真剣に聞いてもらえるようになりますもの。ぜひやってみてくださいね。
こんなに簡単でいいんですか! 自分を助ける「○○宣言」
「簡単に、自分助けできないかなあ」と、思いませんか。
私は最近、大学院の授業でえ! こんな簡単なことでこんなに楽になる方法ってあるのかと思うことに出会い、すごく喜んでいます。
というわけで、今日はちょっとした生き方のコツをお話しましょう。
目的を明確にするってこと、たったこれだけ
今月、すべての曜日になにか用事が入っています。平日は基本、お仕事→大学院か、お仕事→発達支援スタッフ→大学院。土曜日も日曜日も、フリーではありません。
こうなると問題になるのが、体力問題です。ええ、50をかなり目前にした人間です。夫と子供との楽しい生活とはいえ、当然のことながら家事分担もありですから、そりゃくたびれますわよ。
私先ほど家事分担と書きましたが、そうなんです、よく気がつかれましたね。負担ではもはやありません。ええ、連れ合い君も息子ちゃんも最近不思議と率先して家事分担してくれてます。
何でしょうかね。やっぱり母ちゃんが「我が家に天変地異が起こったレベルだ 母ちゃんが本当にマジで大学院博士課程に行った。しかも毎夜ヘロヘロになって帰ってくる」となったら、なにか「俺、やることやらねば」モードに入ったのでしょうか。ふふふ、よきかな。
さあ、こういうときにね、私はどうしましょ。そうなんです、休むのです。ちょっとのすき間時間を見つけて、徹底的に体を休めるのが得策です。
ここで大事なのがね、目的を持って行動するということなのです。目的をしっかり確認するのです。どういうことかというと、「今から私休みます」と自分に宣言してひと眠りするのです。たったこれだけの事なんですが、本当に大事なことなんですよコレ。
もしね、なにも目標を持たず、ただだらけるだけ寝るだけだと、それはなんにも「休んだ」ことに心はカウントしてくれないのですよね。それどころか「あ~あ、今日も私はだらけちゃった。時間を無駄に使っちゃった」とネガティブカウントしてしまうのです。
ところが「休む」ことを目標にして休むと、心は本当に、ああこれはちゃんと目標を持った行動だったんだなと、良いことカウントしてくれます。
私がやりたいことは、自分の人生を豊かにすることで結果家族全員の生活を豊かにすることです。確かに授業料払って大学院入っていますので、経済的にはすごろくで言う一回休み状態です。でも知識や経験の豊かさときたら、多分私の人生で最高の時間と思いますので、結果我が家全員が恩恵を受けることになります。
私は自分の体を休めながら続けることが必要なのです。私が積極的に休むことが、我が家のメンバーにとっては最上級の行動になります。
こういう時に、「休む」と決めずにただ無意識に休むと、ちゃんと心が準備してないので積極的に休めないような気がします。ほんと後で、時間を無駄にしちゃったかなと自分を責めてしまうことが多いです。
この目標を立てること、ちゃんと心理学の先生から習ってきたことですので、安心して使ってください。どんな行動をするときも、「決めてする」んです。そうすればその時間を濃厚に使うことが出来ますよ。
本当に、こんなことで楽になるのかと思うほどですが、なりますとも。
というわけで、週のしょっぱなではありますが私は「体を休めるために早寝する」と決めています。今からお夕食ですから、さささっと食べて、家族の一日の様子を聞いて、すすっと眠ることにいたします。うふ、皆さんも良い夢を。おやすみなさい。
幸せな人生を歩むと決めたら、やるべきことは「これからの話」
「人生って、自分でどうにかできる部分が8割以上あるのかもしれない」
ある日、私は相談業務の席で電話を取って、法的トラブルでお悩みの方の話を聞きながら、大事なことに気がつきました。
そうなんです、自分がどう動くかは、自分でしか決められないということに。自分の未来を作って行けるのは、自分以外の他の人は一切できない自分だけの仕事だということに。この考え方ができるかできないかで、お悩みの深さは全く変わってしまうのです。
そうなんです。私がここ数年どんどん生き方が楽になっているのは、手帳術流を通してこの考え方を手に入れたからです。手帳術流で考える生き方とは、いつも「これからの話」をするということなのですから。
「これまでの話」と「これからの話」
相談業務の席に座っていると、驚くべき社会での出来事にしょっちゅう出くわします。お話を聞いているとご本人は悪くないことも多く、ただひたすら本当に運が悪かったとしか表現できない状態の人もいます。
意図せずして、法的トラブルを抱えてしまう方はいます。そういう時にね、ほんの少しの「法律的問題解決の道案内」を手にすることで、一気にストレスが減ってしまう人と、なかなか気持ちが楽になる場所までたどり着けない方の2パターンあるのです。
どこが違うと思います?
そうなんです。
◇トラブルの原因を追究したい人
◇これからの話をしたい人
もちろん、二つにぱきっと割れるわけではなくて、過去追及80%で未来20%とか、その逆とかいう感じではあるのですが。
こういうときにね、「私はこれからどうすればよいのだろう」と考える訓練が出来ている人は、本当に話が早いです。
過去に目を向けている人、つまりトラブルの原因を追究したい人はどういうわけか「自分の感情がいかに揺さぶられたか、攻撃されたか」に敏感に反応しているように思います。
もちろん、自分の感情や身体感覚等、徹底的に守ることは重要です。ただ、脊髄反射レベルで瞬時に相手の言葉一つ一つに反応を繰り返して、ではどうやったら解決に向かえるかまで意識が向かない状態なんだろうと思います。
確かに、怖いですよね。悲しい思いもしますよね。電話相談窓口にいる我々は、そのお気持ちも本当によく理解できます。だからこそ、そんな悲しいポジションに長い間、大事なクライアントさん(とでも表現ればいいのかな)を、置いておきたくないのです。一刻でも早く、気持ちが安らぐところにご案内したいのです。
だから我々としては、「あなたが真に望むものは何ですか。そうしたいと本心から思っていますか」をお聞きします。ご本人が決めた「降り立ちたい場所」が見えたら、それを実現できる法的相談場所を情報の海の中からみつけだすのが、私の仕事です。
でもね。こういうのって、実は日常の生活の中で「これからの話」を考えなれている人になっていないと、なかなか難しいのだなと思います。実は誰でも、本当にほぼ全員と言っていいほど人間って、「私のこれまでの苦労」を語りたいのです。私もこうしてブログを書いているということは、語りたい一族の一員なのでよくわかります。
だからこそ、徹底的に意識して「これからの話」をする生活を選んでみてください。高校生ごろまでは、私たち全員「明るい未来」を割と簡単に描けていたはずなのです。あそこに行きたい、ここに行きたい、こんな未来があるかもと思っていた時間があったはずなのです。
実際、17~18歳ぐらいのうちの息子ちゃんぐらいの子、はっきり言って無鉄砲としか思われない未来を平気で口に出していますしね。口から出る言葉は、脳に存在した言葉なので、本当にいいなあこういうのと思います。
でも大人になって、やっぱりなにか人生の荒波をくぐり抜ける中で、どこかにそんなフレッシュな心を置いてきてしまったのだなと思うのですよ。ではどうするか。はい、取り戻してくれば良いですよね。
以前には出来ていたことなのです。取り戻すと言っても、過去に時間をさかのぼるわけにはいかないので、そういう場合は、少し考えるトレーニングをして勘を取り戻すほかありませんが。なに、簡単です。だって出来ていたことは、少しの練習ですぐに取り戻せます。
お天気の下、楽しげなファーマーズマーケットにでも行ったとしましょう。その時にあでやかなお花のブースに寄ったとして考えみましょうか。
その時に、私たちは過去に手に入らなかったお花たちのことを悩むことって、あんまりしませんよね。目の前のお花を、たとえ買うお金がなかったとしても、「もしこのお花とこのお花を買ったら、家のどこにどうやって飾ろうか」と妄想しませんか?
そうなんです! ご名答! この「ここに、こんな材料がある。ではこれを私はどう使おうか、どう扱おうか」って考えることすべてが、「これからの話」です。
ね。手帳術流そのものでしょ。将来の可能性を考える生活をしていれば、たとえ目の前に不幸にもやってきてしまったイヤナコトでも、それは素材に過ぎないということがよくわかります。
これは私がよく講座でお伝えしていたことなのですが、一般に言う「ストレス」って、外部にある「ストレッサー」があって、それが自分の内側に影響して「心の苦しさ」になるんですよ。反応しているだけなのです。
そうなんです。ストレスの元になるものは、いっつも外部から来るのです。ほとんどは人間界のコミュニケーションの不具合から起こっています。
外から来るものは、素材でしかないのです。それはアナタの存在すべてにとって代わるモノではないのです。どこまでいっても、ただの素材なんです。少し使うかいっぱい使うかは、すべて自分が決めていいのですよ。
私はすごくインドや東南アジア、中近東系の料理が好きで、スパイスをよく御徒町とかで買ったりします。料理の時に、辛味のスパイス入れすぎたら? そうですよね、料理がすべて辛さで埋まってしまいます。でもから~い赤いスパイスも適量使うなら、それはまさに「スパイス」としてよい働きをします。
同じことなんですよ、きっと。スパイスとしてすべての素材を組み合わせて使う。そのための思考の道具が、「これからの話」ということなんです。
さあ、今日は金沢、ワインマーケットがあるようです。読まなければならない本は山積みですが、お散歩がてら夕方にちょっと覗いてきましょうかね。私はお酒は強くないのですが、あの楽しげな雰囲気は大好きです。どうやったら今日一日楽しんで過ごせるか考えるのも、まさに「これからの話」ですものね!
手帳術流思考で会得したものは、「選べる自分」
「自分の人生、これから先はもうなにも選べない」と、ほんの数年前まで自分は思い込んでいました。
でも50をかなり目の前にした自分が手にしているのは、その真逆。物理的な制約や金銭的な制約はもちろんあるのですが、心の在り方は、選びたい放題の人生です。
数年前の私と、今の私では何が違うのか、なにがその間に発生し何が私を根本的に変えたのか、その思考のお話をしましょう。
選びたい放題だと気づくことでクリアーになる
社会人として大学院に通い始めて、大きく以前と自分の視点が変わったこともあるのでしょう。とても最近、見えてきたものがあります。
人は、その時の体調や心の調子によって、二つの領域を行ったり来たりするように思うのです。どういうことかというと
◇選びたい放題の自分
◇選べない自分、もう道は決められてしまっているという感覚
この2種類の島のような場所を、心と体が巡っているという感じです。
過去の私は、選べない自分でずっと生きていました。こういう時に陥っていたのが、「自分以外の人は、こうするのが当たり前だと思っているから、合わせなきゃ」思考だったのです。自分の意思を自分が確認するよりもっと、世間一般常識を大事に考えていたのですね。
主婦としてこう行動するのは当たり前とか、そういう感じ。どうです、伝わりますでしょうかね。いわゆる「猫をかぶった自分」で生きることを、この時点では選択していたのです。
でもこれ、とても怪しい考え方なのです。ほら、世間の常識ってあるようでないのです。ほとんどは自分の思い込みなのですね。
例えば、子どもがアナタに「ゲーム」欲しいって主張する時に、どう言います? そうなんです「みんな持ってるんだよ!持ってないのは僕だけだ」とか言いませんか。実際はみんなってどれぐらいかと言いますと、その子の前にいる2~3人のことですよね。世界中の人が必須で持っているわけではないけれども、子どもの頭の中ではもう地球上規模になってます。
私が陥っていたのも、まさにこの「地球上のすべての人は、私にこうして欲しいと望んでいるに違いない」という妄想だったのです。
そうすると、「あれもやってはいけない」「これもやってはいけない」という、やってはいけないことだらけで心が占領されてしまうのです。選べないので辛いのですよね。
私がこの数年歩く道のりの中で、とても大きな心の支えになったのが、手帳術。いろいろ自分にとってかわいい手帳を使って、好きな雑貨を入れて歩いているうちに、あることに気がつきました。
私は実は「小鳥ラブ」「本ラブ」「美味しいもの食べるのラブ」「旅行ラブ」な人なのです。そういうもので手帳が埋まってくるのですが、誰も私を責めないのです。普通に考えれば当たり前ですが、そのことを発見したときは驚きました。人に迷惑がかからない部分で、自分は好き勝手やってもいいということを、その時点まで意識してなかったのです。
辛いことがあった時に、手帳の小鳥のフセンを眺めているだけで心が何となく落ち着いてくる。あるいは、次行く旅行の日程表を作って持っているだけで、そしてふとした瞬間に日程を思い出すことで、心が解放される。
私のこころを解き放つものはこれ以外にもいっぱいあります。例を挙げてみましょうか。
◇夫を誘い出してお散歩する(おしゃべりする)
◇息子ちゃんと、おしゃべりする
◇カフェの情報誌を眺める
◇旅行の計画を立てる
◇ツイッターの小鳥ラブグループをチェックする
◇図書館に出没する
◇本屋に出没する
◇無糖炭酸水をぐいっと飲む など
その時受けたストレスによって、選ぶ解放方法は変わるのです。なんだ、私こんなにたくさんの「立ち直り手段」持ってるのだなと思いました。そういう小さなことに気がつくと、人生も選んでいいんだとだんだん思うようになってきました。
はいそうなんです。例えばカナダにでも遊びに行くときに、エアカナダ使ってもいいし、JAL使ってもいいし、ANAでもいいしというのと、全く同じなの。太平洋を越えるということについては、動かしようがないのですが、自分で選んでいい条件て山のように存在するのです。
こういう、自分の人生に助けになるようなことを、私は一冊の手帳から学びましたよ。そういうことの知識は、実は私は本から得ていました。心理学のアプローチで言うコーピングという手法なのです。また近いうちにこれについて、とっても良いご本をご紹介しますね。
でもね、実際はやってみる、行動してみる、続けてみるが何より大事なのです。心を強くするには、やはり体を強くするのと同じように、トレーニングは必要なの。でも無味乾燥でトレーニングなんてまっぴらごめん。楽しくやりたいでしょなんでもね。
そういうわけで、私は手帳があったおかげで、一度にいろんなことが手に入るようになったように思うわけです。
ええ、アナタがやりやすい方法なら、続けやすい方法なら手帳術に限った話ではないのです。でも、とても手帳を使ってこういう思考方法を身につけるのは「楽しくて楽」なので、もしチャンスがあったら、是非とも実践してみてくださいね。
選びたい放題の人生が、目の前にある。それだけは間違いのない事実なのです。
ヒヨコに対して、教授先生はこう言うのです~社会人大学院生活にて~
今日は記念すべき日かも知れません。社会人大学院生活、ついに授業の真打とでも呼べるような学問がスタートしました。
教授先生が一言一言おっしゃることが、今までのんびり暮らしてきたぼやぼや頭を一喝していくようで、緊張の時間でもありました。が、やはり先生方すごいですよ。私たちヒヨコに本当に大事な「生きるってこれだよ」という真実を教えてくださいました。
せっかくですから、今日はその「ヒヨコへの愛のある一撃」のお話をしましょう。
ヒヨコほど英語で読めと先生は言った
本日の授業は疫学統計。はい、タイトルからしてすでに、難しい匂いが漂ってまいります。心して授業に出向いたのですが、それでも、教授先生の最初の一言でつい逃げ出しそうになりましたよ。
「今日から、論文は必ず英語で読むこと。本授業で扱う用語はすべて英語で覚えること。授業はきっかけに過ぎないから、自分でどんどん検索して知識を増やすこと」
私の同級生は5大学に分かれて配属になってますので、それこそ何百キロも先にいるのです。それでもネット配信画面を通じて、「さささ~」っと血の気の引く音が聞こえて参りました。全員顔面蒼白です。え? 私ですか。当然お仲間ですとも。
いえ、授業はごく興味深く、難しいというのを超越した部分でとてもとても楽しい内容でした。面白さの中に研究者先生方の生き様が鮮烈に見えて、浮かれた気持ちから一転、ぐっと気持ちが引き締まりもしましたが。
と言うのはですね。先生方の論文を読む量ときたら、とてもではありませんが比べものになりません。一本の論文を書くのに、平気で数百の(英語)論文に目を通すのは当たり前。研究に対しての真剣な態度と言ったら、筆舌に尽くしがたしです。
論文検索の方法など、かなりマニアックなやり方をご説明下さいました。先生が現在取り掛かろうとされている論文について、どうやって検索し、何本論文を読んだかをおっしゃっていましたが、その時の言葉がすごい。「いやあ、調べるのが趣味なんですよ。まあ、それが仕事なんですけれどもね」と、本当に楽しそうに言われるのです。だからこそ、研究に従事できるのでしょうね。
そういう先生方が言うのです。「初心者ほど、質の高い論文を英語で読むように」と。
やはり、どんな世界にも「お作法」というものが存在するとおっしゃるのです。科学には歴然とした「科学の世界のお作法」があるのだと。そういうものをきちんと踏襲していくことが、何より大事だと。
科学の世界では質の高い医学雑誌などに乗ってくるようなものは、ほぼ間違いなく質が保証されている。だからこそ、そういう論文に必死でくらいついて行くことによって、どういうものが質が良いものかわかるようになると。
先生が力説されていたのは、「質の高いものに触れていれば、質の悪いものはすぐ見抜けるようになるから」と。反対に質の低いものに囲まれていれば、いつまでたっても質の良しあしはわからんよと、そうおっしゃるのです。
phDステューデントとして、科学の世界にもうあなた方は足を突っ込んだのだから、科学の徒として生きるのだよと。そのためには、英語で論文を書き発表せよ。自分が探す「未知」は自分の後ろには「既知」になって、次の人の「未知」を探す旅のよき道しるべになるからと。
今日私が大学院で聞いてきたことは、日常生活でもそっくりそのまま通用することなのです。別に勉強に限ったことではありません。
質のいいものを味わっていると、それだけで「良いものか、悪いものか」分かるようになるのは本当です。悪いもの、ストレスのかかりそうなものに囲まれていると、実際疲労が蓄積していくだけです。そしていつまでたっても、上達しないのです。
美味しい料理を作ろうと思ったら、しゃきしゃきのつやっつやの美味しい野菜を入手し、最適の調味料と最高の腕で素晴らしい逸品に仕上げていくのです。論文を読むことは、実はまだお野菜を買い求めている段階なのです。仕入れてくる野菜がしなびていたり、悪くなっていたりしたら、もう目も当てあられませんものね。
◇ウソをつかないこと。
◇適切な方法で、「真実」を見つけ出すこと。
◇自分が見つけたことを、世のために還元していくこと。
作法に適った理にかなったやり方で、最高のモノに親しんでいくことこそ、難しくはあっても上達は圧倒的に早いのです。
そうですよね、もうここまで来たのだから、逃げようとは思わず、そろりと一歩前へ進むことを選択しようと思います。そして教授先生のようにハナ歌モードで、「楽しいからやる、楽しんでやる」を実践してみようと思います。ヒヨコに対して教授先生がアツく語ったように、嬉しそうにやってみようと思います。
人が力を出せる環境にするには、○○が必須なのです
人が本当に楽に力を出すためには、どうしても必要なものがあるようです。それは一体何なのか、今日の気づきをお話しようと思います。
准教授は小さな声でつぶやいた
今日の大学院の授業は、私の配属校の先生が担当でした。私の所属大学院は、5大学が集まって構成されております。講座ごとに、その日の担当講師がそれぞれの大学から遠隔会議システムを使って講義をオンエア(ネット回線ですからオンネット?)します。
水曜6限目の講義は、登録生徒8名ほど。わが校では私のみ履修届を出しているようです。本日の5限目は同級生と一緒に履修していましたが、その時間で彼女は退出し私だけが講義室に残っていました。
そこへ、准教授先生がさっそうと登場。長身のはつらつとした、とてもお若い先生です。私が同室受講すると知って先生、本当に小さな声で「うわ~そうなんですか。良かった。そうですか、いや、それは、ほんとに、良かった」。
小さな声で話されることって、心の底からの安堵の声のことが多いです。その時の先生の表情は見えなかったのでしたが、かすかな声にのってくる感情は、私の耳に届きましたよ。
1時間半の授業は怒涛のように進行し、講座終了後先生とすこしお話しました。社会人の方が多い院ですので、自宅での受講もできるという手厚いシステムなのですが、先生方にとってはこれが微妙にネック。場合によっては目の前に誰もいない状態で、カメラに向かって一人寂しく講義となることもあるとか。過去の年度においては、ネットテレビの向こうでも、日によっては一対一状態に近くなることもあったとか。
そうなるとね。いくら大学院レベルの熱の入った講義とはいえ、どこか「ちぐはぐ」な感じがするのだそうです。話しているのに、聞いてほしくて講義をしているのに、受け取ってもらっている感が直接感じられないからなのでしょうね。
ギブアンドテイク。きっと情報であっても何であっても、受け渡したい人から、直接受け取るのが良いのです。その時のリズムそのものが、品物よりきっと受け取り手にとっても受け渡し手にとっても、価値があるのでしょう。
もう賢明な皆さんなら、私が今日書きたい事、読み取ってらっしゃいますよね。
おそらく、人にとっては人がいることが大事なのです。空気の中に相手の体温がじんわりと伝わってくるような場所、呼吸のリズムが感じられるような場所に人がいるのといないのとでは、まったく結果が全く違ってくるのです。自分のパフォーマンスが、がらりと変わってしまうのです。
確かにね、無機質なカメラ相手にしゃべり続けるのは、心の折れる仕事だと思います。反応が感じられない世界って、どう考えても居心地悪そうです。
話しやすさ、居心地の良さ。きっと人は、本当に誰も人がいない世界では、そこが王宮のように素晴らしい場所であっても足が宙に浮くようで、その人本来の力を出し切れないのだと思います。
居心地の良い場所は、どこかに人の気配がする場所だと思います。
面白いでしょ。人は人に生かされて、そして活かされているのだなと思いましたよ。今日の教訓をもう一度私は夢の中で考えてみようと思います。私の存在がアナタにとって、なにかよい気配をもたらすものであるように、明日も精進してみようと思うのです。