アラフィフ、大学院生活を楽しんでみる

中年クライシス真っ只中の社会人大学院生。現在博士課程1年目。自閉症とコミュニケーションについて研究中。転勤族家族なので、日本中がホームタウンのつもり。仕事はパートタイムで、消費生活系相談員してます。コメント大歓迎です。

くるりと一回りして自分の原点に戻ると、そこで出会うものとは。

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「もしかして、手帳のリュウコさんでは?」

 

昨日、地元のメガショッピングセンターで野菜やキノコを買い物かごに入れていたときのこと。私は声をかけてもらいました。こういうことは、とてもとても珍しいことです。何年か前の手帳時代に講座でお会いして早数年。よく雑踏の中、私を見分けてくださいました。

 

「ああ原点に戻ったのだ」

立ち話を数分、そこでとても懐かしい方の名前が出ました。クローバーさんと申し上げたら、手帳界隈の方々には忘れられない大切な優しい姉のような方です。金沢で、立ち話でこのお名前が話の中で出ることは、天文学的な確率の低さなのです。

 

ただの偶然の出来事ではあるのです。でも私はこの日なぜか「ああ原点に戻ったのだ」と強く感じました。

 

クローバーさんに出会ったのは、私がなんとか一歩家から出てこれぞと思う講座などに通い始めた頃でした。会った瞬間から包み込むような柔らかいオーラ(とでも表現すればいいのでしょうか)で、目の前の人の心を和ませてくれるのです。あれほど細い方なのにまるで神社仏閣にある大きなご神木を思わせる方でした。

 

これからどうやって自分の人生を立てていっていいのか、全くの五里霧中の状態の私でした。でもその頃から、何かが変わっていったのです。こういう先達たちの一挙一動から、素直に学べばいいのだと気がついたからです。

 

愚直に学べばいいのだ、出来てないのならトコトンまで一度やってみればいいのだ、そのための教材は山のようにあるということを教えてくれた方。

 

もうどうやってしても会うことは出来ない方なのです。川の向こうに行かれてしまった方なので。でも、どんな瞬間にも人は人の中に生き続けることが出来るのだと、その日私は明確に知ったのでした。

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最初の出会いから何年も経ちます。私は住む場所も変わり、意義のある仕事も得、子どももヒヨコだと思っていた子がもう羽をバタつかせる年になりました。状況は大きく変わっているのです。

 

今、大学院の学びが始まりました。授業を昨日までに4講座受けましたが、とてもとても自分にとっては衝撃的な時間でした。一年生に入学してきた皆さん、それぞれがすごいキャリアの方々でした。講義を受けながらなぜか自分を恥じていました。どうして自分はこんな場違いな場に来てしまったのかと。

 

講義の内容が素晴らしいだけに、頭をフル回転させてやっとついて行っている自分と、周りの方々のすずやかな顔を見比べて、ため息をつき始めていたのがまさに昨日。その日が来ることを知って、偶然が偶然を連れて来てくれたのかなと、感謝せずにはおれません。

 

でも大事なことはね。偶然は偶然には来ないのです。こうやって人から人を通じて、自分の元まで届けられてくるのです。

 

自分は自分。私はまた一回りして、学びの場に立ったということを思い出せば、もう何も怖くありません。知らないことを知るチャンスがあるということは、恐怖ではなく、喜びなのです。

 

この年になってもおそらくこの先も、私は出る先、行く先で年齢は高くても一番キャリアのない人かもしれません。でもそれを、なんにも恐れることはないのです。そう教えてくれた方が、私の人生には確かに存在したのです。分からないことは知ったかぶりせず素直に学び続ければよいというだけの事だったのです。

 

知らないことを知っている! と言いたくなった時が一番、人生ではつらい時期なんですよね。知らないことを認めちゃえば、なんと楽になるのでしょう。そしてその分野では知らないこと満載でも、自分の経歴でなにか他の方にお役に立つ部分はどこかにある可能性はちゃんと残されていますもの。

 

ぐるり~っと人生を回ってきて、そこで出会ったのはなんとも鮮やかに人生を生き抜いた方がもたらした温かさだったのです。誠心誠意目の前の人と向かい合う生き方をすることの大切さを、今一度思い出す日が来たのです。

 

人は人に出会って、その価値を倍増させるのだ。いずれ、何年か先、誰かがふと過去を振り返って「そういえばそこにあの人が確かに居たのだ」と思ってもらえるように、今日一日を生きてみようと思います。 

大人が、やる気を長続きさせるコツは。

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ここ数日、やる気と勉強を長続きさせるコツのようなものについて、いろんな方面から情報が入ってきています。

 

昨日大学院の講義がスタートし、この場でもなんと、同じカテゴリーの言葉を聞いたのです。やる気と成長のための大事なつながりについて、今日はシェアーしたいと思います。

 

必要なのは「自然で洗練された方法」

昨日、ついに大学院の講義がスタートしました。怒涛の一時間半の講義を二本。

 

ああ、この知恵熱の出そうな状態、生まれて初めてかもしれません。昨夜はまあるいお月さんの下、煮え煮えの頭を夜風で冷やしながら帰宅しました。

 

大学院での研究は、徹底してエビデンスを要求されます。その結果が出るのは、なぜ?良いと言えるその根拠はどこにあるの? ということです。科学的な目で実験の課程を精査し、誰が実験しても結果が同じになるような明白さが必須です。

 

そういう研究を続けてきた方々が語る言葉には、とても共通点があります。子ども達の命を守りそして発達の手助けをするためにこれだけは知っておいてほしいという根幹のようなもののようです。

 

それこそが「自然でかつ洗練された方法」という考え方。この方法は実は子ども達をじっくり観察することから得られる情報です。

 

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スムーズに育っていく子ども達が何をやっているのか、じっくりと観察してみるといいですよ。読み聞かせなどで小学校に出入りしている方は、素晴らしいチャンスです。

 

彼らがどう遊んでいるのかに注目してみてください。どうやって友達とコミュニケーションを取っているでしょう。どうやって会話を開始し、いかに会話をつないでいるのか。そういうことから、大人が学ぶ番です。

 

実はね、大人が子供にアドバイスするときに、全然的外れな提案をしていることが多いと、教授方はおっしゃいます。子供の方がまったくもって正しい行動をしていることが多いのではないかと、推測してらっしゃいます。

 

子どもが飽きることなく他の子どもと関わりながら遊んでいるとき、どうしていると思います? 全く意見の違う子といさかいながら遊んでいるでしょうか?

 

違いますよね。関心が共通している部分のある子と、その共通している部分について一緒に楽しんでいます。泥遊びが好きな子は、泥遊びの好きな子とコネコネしてますよ。木のぼりの好きな子は、外遊びの好きな子と風を切って遊んでいます。

 

一人で遊ぶより、おそらく2倍も3倍も楽しんで長時間遊べると思います。なんのことはない会話が続くことが、楽しさを増やしているように見えます。

 

子どもの発達も、大人が考える「勉強が良くできる子に育てる方法」は、実は全く持って真逆の効果を与えていることが多いのです。本当にやる気になり、そして持続させるためには、そこはかとなく会話が続く興味関心を同じくする仲間が存在することの方が、よっぽど効果的なのです。

 

現在、大学で研究されている発達を支援する方法も、「普通の赤ちゃんや母親が自然にやりこなしている動き」を徹底研究して、その理論を応用しているようなのです。自然な人間らしい方法を、私たちは持っているのならば手放さなければよいのです。

 

大人もね、同じことをすればいいのですよ!

 

私も、今回ほぼすべての講義を、誰かかれか同学年の友人と机を並べて受講することになります。孤独じゃないのです。どの人も「学位を取る」という巨大な目標に向かって真剣な目で学んでいます。

 

別に同じことをしているわけではないけれども、でも私はグループに所属しているという感覚。この仲間がいる感覚があるからこそ、私もやれる・やってみせるという強い決心につながっているような気がします。

 

何かつながりを感じるとやはり人はなにか「生かされてるな」と感じることができます。私の経験をお話しましょう。

 

私の友人で、医療や技術分野に精通したすごいハイレベルの方がいるのです。私が論文読解で苦吟してることをで知って、そっと英語論文を読むときにその方が使っている方法についてアドバイスをしてくれました。

 

私にとっては、はるか彼方に輝く星のような実力のある方が、でも私を友人の一人として認めていてくれる。そう思うだけで、やっぱり一歩でも二歩でも前に進みたいと思う気持ちがアップします。

 

「ほら、こんないい方法があるんですよ!」ってことを、伝えたくなる人がいることは、人生をとても豊かにします。情報を伝え合うことが、結果的にすべての人をよいスパイラルに巻き込んでいくような気がします。

 

アナタがどんなに違う場所にいても、ああ、あの空の下で元気で活躍しているのだなと思うと、何時か私もそういう高い場所に行きたいと思うのです。そのためには、今、目の前にあることに取り組もうという気持ちになれますよね。

 

大人って、日々の生活に身も心も削られてしまいがちです。やる気や勉強って、体力が奪われるとまるでゴム風船の口が開いたように、ぷしゅ~っていう勢いで減ってしまいます。

 

でもそういう時に、やる気のほころびを繕ってくれるものこそ、「興味関心を同じくする仲間」なのだと思います。アナタがね、「あの人にこのことを伝えたら、きっと楽しんでくれるだろう」と思う、まさにその人のことですよ。

 

人は、どんな状態にあっても、やっぱり人の心根の温かさを必要とするように思います。私は友達たちに助けられている。ならば、私自身も温かな人であろうと、そう決心した明るい月夜の物語です。

手帳が私にくれた物は、フォレストグリーンと新車一台分の価値(後編)

 

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 手帳と新車一台分の価値が大学院でつながると言ったら、アナタには不思議なことでしょうか。私はとても大きな気づきとなりましたので、この価値のお話をぜひシェアーしたいと思います。

 

では、フォレストグリーンの話から続く、手帳シリーズのお話をご覧ください。

  

新車一台分の価値を、何十倍にも活かす場所に巡り合った話

先週半ばのことです。急きょ、大学院での教授との面談が設定されました。今後の研究の方向性を定める必要があるからです。

 

金曜日の午後に研究室においでくださいとお返事がありました。私は朝の会合後、桜の開花の音が聞こえそうなピンク色の道を、大学へと上って行きました。

 

大学院博士課程に入るにあたって、研究計画書を大学院に提出しています。入試の判定に大きくかかわりますし、大学院にとっても私を知る重要な情報になります。

 

もちろん、計画の段階で、すでに指導教官とは方向性についてお話はしてありました。でも、実際本当にこの3年間で、今の私の持っている能力と環境で実行可能なのか、再検討しなければなりません。

 

私が望んでいることは、「親と子の関係性をどう支援していくか」です。コミュニケーションとはいったいどういうものなのか、はたして私たちはそれをどう会得しどう使いこなしているか、またどうやって支援の場に活かしていくかを、知りたかったのです。

 

本当に有効なメソッドというものは、使い道が限定されません。つまり、決して発達障害の親子の支援に有効であるものは、当然すべての親や子の関係性に使えるものになるということです。

 

どういうことかというと。例えば、とても歩きやすく整備された道があるとしましょう。桜の花が満開で、小川のせせらぎや小鳥の声も聞こえてきます。

 

この道は車いすの人や、足を怪我した人、視力の弱い人にも通行しやすい道です。ではこういう道は、元気な子供には不向きでしょうか。いいえ、むろん彼らなりの楽しさを見つけて、元気よく駆け回るでしょう。それと同じことです。

 

当日の話し合いは、研究の方向性はやはり、当初の計画分は要検討ということになりました。自分がやりたいアイデアをやるには、私の場合、力が足らなさすぎでした。

 

教授はその辺を十分かっていらっしゃって、もし私がそれでも強行したい決断すれば、ご自分がフォローを引き受けざるを得ないと覚悟までなさっていたようです。

 

というわけで、仕切り直しです。やりたい事があるアプローチしたい人がいるということが大事なのでと、教授には励まされました。大学院ですから、やりたいことがない人が来る場所ではないということなのです。

 

その上で、まずは論文を読み進み関連分野への理解を深めることとなりました。教授はにっこり笑って査読付き論文3本を手渡してくださいましたが、一本は英語でした。ふふふ。

 

そして、ここの博士課程のカリキュラムは一年次は大変だよとおっしゃいます。講義を10単位(5授業)以上取らなければならず、社会人には負担が大きいということなのだとか。

 

でもね。私の所属している院の1年次導入課目、どの講座も内容が本当に魅力的なのです。医学、心理、教育のそれこそ日本有数の先生方が講義を担当するのです。

 

校舎が5つの大学にまたがっているので、講義は各校の先生方が出しますが、それを私は基本地元の校舎でビデオを通じて受講します。遠隔地の方は、数時間後から自宅のパソコン環境で受講し、毎回レポートを出すことになります。(社会人に対応したシステムですね。)

 

発達障害支援の現場にいますと、相談にいらっしゃるお母さん方は私達支援者が、どんな分野にも精通している前提でお話をなさることがあります。診断の方法も、お薬の話も、脳のことも、睡眠のリズムについても、学校対応も教科の勉強方法についても、何もかもです。

 

私はですから、開講予定の14講座全部取るつもりでいました。先生にその旨お伝えしました。

「あ、やはり先生がおっしゃるように、すごく大変でしょうか。私、実は内容があまりにも魅力的なので、全部受講予定にしているのですが」と。

 

教授はにっこりほほえんでおっしゃいました。

「毎日学校に通うことが出来れば大したことはありませんよ」

 

あ、でも教授の大したことないというレベルは、私にはとても! たいしたことあるレベルであることがたまにあります。入試の際も、英語は辞書持ち込み可だから大したことないよとおっしゃっていましたが、結果は推して知るべし。

 

そしておっしゃいました。「大学院に入ったということは、新車一台分ぐらい(の金額が)かかるでしょう。せっかくだから、取れる講座はどんどん取って、貪欲学んでください」と。

 

雑談ついでに、いろいろなことをお聞きしました。私は今年の新入生の中ではおそらく最年長でしょう。でも過去に入学された先輩には、大学の先生を定年退官されて(つまり65を過ぎて)から、当該院に進まれた方もいらっしゃるとか。

 

教授はおっしゃっていました。「新しい分野に果敢にチャレンジされることが、本当にすごいことだと思います。その年で知的好奇心を失わないことが、素晴らしいですよね。この方も、ほぼ毎日大学に通われて、講義を取られていましたよ」と。

 

今回、自分が新車一台分の価格を払う立場です。でも、得られる情報量や環境、使える人脈、考え付くあらゆる面においてその価値は、お支払の額の何十倍にもなって私の元にリターンしてくるでしょう。

 

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手帳の神髄ととてもこのあたりが似ていると思います。使いはします。でも受け取るものは、十二分に価値のあるものにするという決心をし、そのように行動するということなのです。

 

手帳ではね、自分が使っている時間の濃度や密度がより高いモノになっていくように、少しづつ自分を設計していくことが大事です。使う価値のある時間なのか、使用するメリットのある道具なのか、いつも楽しみながら取捨選択してくための見える化ツールが、手帳だと私は思っています。

 

大学院は、それをもっと「社会に還元していく」という色を明確にして行動していくことになると思うのです。だから、いつも検証し、実験し、行動しと続くのです。

 

どちらも、「自分と自分のやっていること、そして社会とのかかわりに対して、知的好奇心を失わない」ことが、すべての基盤にあるのです。そしてなより、やりたい事興味関心のあることがどこか共通している人々がいる場なのです。

 

手帳で自分を確認しながら進む生活は、メリットが大きいと感じています。知りたい事を知る、全部の自分を使って進む。でも体力を浪費するようなことはしない。

 

自分の歩いた後に、道はできる。そのすべてを手帳は知っていてくれるから、何も孤独ではない。そしてなにより、手帳仲間という「私と興味関心を同じくする仲間」が、そっと私を応援していてくれるのですからね。

 

手帳を、仲間と巡り合うパスポートとして私は使っていました。大学院も「その本質を明らかにしたいと行動する人々」が出会う場なのです。

私は迷わず今目の前にある細い糸を手繰って、進もうと思います。 

手帳が私にくれた物は、フォレストグリーンと新車一台分の価値(前編)

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それは先週金曜日のことでした。

 

この日は用事が二つ入っておりました。そして、それぞれとても興味深いお話を聞くことが出来ました。そのどちらも、手帳術と密接に関係する部分があります。ということで、その気づきをぜひ今日はシェアーしようと思います。

 

午前中の私は、気がついた

午前中は、青藍舎での会合です。とてもとても意欲的に社会に変革を起こそうとする方々から、お話を伺いました。

 

すごくお若いのに、動かす人数も会社の規模も大きい方です。こういう人は、行動がなにしろ早いのです。たぶん「つかむ力」が半端ないのでしょう。きっと今後もぐんぐん伸びていかれるのでしょうね。

 

目の前でキラキラと光っている人を見ますと、できたら自分もその光を反射させる力を持ちたいと思うものです。こういう時何をするとよいと思います?

 

そうです。なぜその人が輝いて見えるのか、自分との差異は何なのかを見て見ることが、自分改善の一歩になります。

 

せっかくですからその行動の速さや、遅滞なくつかむ力を真似たいものです。この引っかかりなく良い情報をつかむ能力って、どんなことに裏打ちされているかを考えました。私の生活のどこを改善すればいいかを、思考してみました。

 

見つけました。まず私が改善すべきこと、それこそがフォレストグリーン。

 

どういうことかと申しますとね。まずはこちらをご覧ください。(昨日のブログですが、真ん中あたりのペンのカラー紹介のところにご注目下さい。

seiransha.hatenablog.com

 

そうなんです。

手帳で使用しているフリクション4色で、実は一色だけは、間に合わせの色を使っていたのです。その日使っていたのはライトグリーン。写真の真ん中です。でも自分が使いやすいのは、フォレストグリーン。納得はしていませんでした。どこか心に引っかかりがあったのです。

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並べてみると、グリーンと名がついていても、全く別のカラーに感じます。それなのに私は、「間に合わせだから仕方がない・もったいないし」と我慢していたのです。

 

行動が早い人は、実はこの心の引っかかりを疎かにはしません。心や体、情報などに手を打つのが早い方が圧倒的に多いのです。目をしっかり開いて事実を見るということですね。

 

出来る人が圧倒的なのは、考えることを楽しむ時間を大切にしているからだとも思います。いやなことはいやだから、じゃあどうすればよいか? を考え出すことをいといません。ええ、どんな状況下にあっても、脳をシャットダウンしないんでしょうね。

 

やはり使いづらいし、今後もずっとこれが続くと気がめいりそうだとわかったら、手を打ちましょう。金沢での私の行きつけのお店は学生さんご利用が多いので、新入学シーズンですから入手難しいでしょう。

 

でもありがたいことに、翌日の土曜日つまり昨日、私は名古屋に出る用事がありました。大学院(他校舎所属)の先生が、UCLAカリフォルニア州立大学)の教授を招いて勉強会を開催されるので、日帰り強行軍の予定でした。

 

あ、英語はどうした? とご心配いただいてますよね。今回は大丈夫です。とても腕の良い医療系逐次通訳さんが入っていました。

 

というわけで、名古屋です。

 

デパートだろうが、大きな書店だろうが、ロフトだろうがハンズだろうがよりどりみどりです。帰りの列車の待ち時間を利用して、フォレストグリーンを無事にゲットしてきました。列車の座席に滑り込んですぐに付け替えてしまいましたよ。

 

ノート術のキモの話をします。書くからには、メモとして利用するからには何が大事だと思います?

 

そうなんです。「パッと見ただけで内容がわかる」ことが重要になってきます。きちんと見ることが出来ない、一瞬で把握できないものは、「これはなんだったっけな」と考えなければなりません。この瞬時性が損なわれるとどうなるかと言いますとね。脳にものすごく負担がかかるということなのです。

 

ライトグリーンで字を書こうとすると、まず薄くて見えにくいのです。当然後で見直す時も、紙の色に紛れそうになっていて、インパクトがありません。手帳ではこれ、とても気をつけるべきことなのです。手帳のスケジュール部分はある意味、気付くためのアラームなのです。

 

アラームが自分にとってわかりにくいようでは、意味半減ですものね。まあねえ、きっともう少し若い頃でしたら、目の力も強く気にならなかったでしょうが。目のお年頃だと認めた方が、私には良い結果出そうな気がします。ささいな負担ほど気になるものです。だったらハードルを減らす方向で動いたほうが、やはり人生楽ですものね。

 

なにを日々の生活で重要視した方がいいかと言いますと、「考えるべきことを考える」ことなんです。つまり、考えなくてもいいものは、考えないようなシステムを作っておくことが大事なんです。

 

すっと見れるモノ、一瞬聞くだけで理解できる言葉遣い。あらゆる日常の生活の中で、自分にとって楽なシステムを構築しておけば、無駄に時間や脳力(脳の力)を無駄遣いせずに済みます。

 

考えるべきことに、脳の力を振り分ける。こういう小さな積み重ねが、どんどん良いスパイラルを起こし、次へ次への扉を開いてくれますよ。

 

さて、今日の夜か明日の朝までには、金曜日の午後からの会合のお話をアップしましょう。新車一台分の価値が私にとって何を意味するのか、それと手帳とはどうつながるのか書こうと思います。

 

ではまたね。

専業主婦→起業を経て社会人大学院生。変化はすべて手帳が見ていた

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皆さん、手帳は使っています?

 

私は、専業主婦になってからの一時期、ほとんど手帳とは縁がなかったのです。その間は本当に、自分のことに興味があるようで、でもまったく自分をおろそかに扱う生活をしていました。

 

それがある時期を境に一変し、流れが流れを連れてくる形で、今年ついにあれほどの念願だった社会人大学院生になりました。実に25年かかって夢を叶えた形になります。

 

そうです。流れの変化が始まったのは、手帳を使い始めた頃からです。

時間を管理するんじゃないということに気がついたその日から、人生が変わり始めました。

 

手帳って、特別なものではなくて、自分の気に入るものなら私は何でもオッケーだとは思うのですよ。

見つめて欲しいのは、手帳の紙面から浮かび上がる自分自身ですから。

 

ワタシという存在をいかに丁寧に扱うかということなのです。自分という存在をいかに「喜ばしてあげるか」を考える生活を手に入れてください。そうするとね。本当にその日からぐんぐんと自分の可能性の芽が発芽するように感じられます。

 

自分の行動をがんがん記入していくうちに、ある日ふと、素晴らしく人生の回転数が整ってきていることに気がつくはずです。

 

今月のワタシは、手帳がすべて知っている

今日は皆さんに、ちらりとだけですが、今月のマンスリー部分お見せしましょう。

私はとてもお好みのマンスリーがあり、毎年購入して使っています。

Bindex社のNo-A5-041というタイプです。

目に優しい色の上質な紙であることが、お気に入りポイントです。

 

横軸に時間。タテが日にち順のもの。

最近は4色フリクションを利用して、書き込んでいます。

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フリクションのカラーはお仕着せのではなくて、入れ替えています。

◇スカイブルー

バイオレット

ローズ

ライトグリーン(本当はフォレストグリーンが自分の一押し、売切れで代役中)

スカイブルーは相談業務の時間、ローズが大学院関係(発達障がいに関する勉強もこの色)、ライトグリーンは発達障害の専門施設に出向くとき、紫は青藍舎(自営のお仕事)や個人的な行動関係という風に、自分で区別しています。

 

私の場合、マンスリーは「自分の一存だけでは動かせない自分の行動」に関するものが入っています。人との約束事が絡むものと考えると、わかりやすいでしょうか。歯科の予約なども、当然にこの紙面に書き込みますよね。

 

マンスリーのお好みは本当に人それぞれです。カレンダー型のものがしっくりくる方もいます。そしてそういう「感覚の差」は、とても大切にして欲しい部分でもあります。自分らしいチョイスということは、おろそかにできない大切なものなのです。

 

私はこの時間と空間が一目で把握できるタイプが自分にはものすごく合っているので、使い続けて7年目になります。

 

自分のワーキングメモリーがとても小さいと知っている私なので、手帳に助けてもらうと楽なのです。特にこの形式で、ある一定数の色で情報を加える形にすると、私の目や脳が大助かりするのです。使っていてとても楽なので、手放せないのです。

 

お洋服だろうが、手帳だろうが、自転車だろうが、自分の体感覚や体の使い方ににぴったりくるものほど、良いですね。

 

来週の10日(月)からは、ついに大学院の講義もスタートです。

つい欲張って、取れる講座はすべて履修届を出してしまったので、大学へ日参することになってしまいました。(これには後日談あり。そのてん末は、また明日にでもご紹介しますね。)

4月の間には、必修の集中講義が入ってきていていますので、びっしりな気がします。でも後期もほとんど同じペースで履修を希望中。

となると、家事のうち特に夕食は家族の手助けが必要かなとわかってきます。下ごしらえはしておくとしても、家族に最終的な調理をしてもらえるように、根回ししようと思います。

 

フルタイムで働いている方ですと、私の手帳よりもっと埋まっているかと思います。でも、こういう時に人との差を比べても、何の意味もありません。人はそれぞれ持っている空間も、持っている人脈も、そしてなにより体力の差はいかんともしがたい。

 

出来る人と自分を比べてもダメな自分という幻想にしか目がいかなくなり、つらい手帳になってしまいますので、人との比べっこは厳禁なのです。

 

自分の歴史の中で、今がどうなのかを見ると良いと思います。

 

良くなっていれば、素直に喜べばいいですよね! そして、うまく流れがつかめていなければ、思い切って行動を変えていく手がかりになります。

今月4月は、私の人生の中では、驚くほど忙しい月間になっています。

その証拠に、去年2016年3月の月間をお見せしましょうか。

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このマンスリーページは、ある手帳関係の特集でお見せしたこともあるので、ご覧になった方も何名かはいらっしゃるかもしれません。今月のものと比べると、やはり空欄が多いなという気がします。

 

もちろん、当時はすごく忙しく感じました。だって、それ以前のものは、出張に出るときは確かに長期ですが、平均すると、家にいる時間の方が長かったですもの。

 

2016年の間は、お約束のない時間帯は青藍舎での講座のための下準備時間でした。突発的に個人セッションは入ってはきます。4月以降はここに大学の課目履修生とか、相談業務がぐっと入ってきていたので、6月ぐらいになると、今の状態にかなり近寄ってきています。

 

自分を見える化するものが、自分の横に常にある状態にしておくメリットはとても大きいと思います。「自分をモニターできる人」は少しの失敗をおろそかにせず、その経験をもとに最大限の効果を生み出す力があるなと思います。

 

人間の体調にも心の在りようも、いい時と悪いときの波がありますので、常に自分を客観的に見つめられるかというと難しい時もあります。手帳が重く感じるときも、あっていい。失敗する権利は誰にでも必ず必要なものです。そして、誰にも奪われない権利でもあると、私は思っています。

 

体調が戻ったらやぱりそこには、忠犬のように手帳が待っていたということの方が、トータルで上手くいくような気がします。起き上ってまた手帳と二人、走り出せばいいのですものね。

 

私が手帳にどっぷりはまり始めたころ、手帳の予定表はこう叫んでいました。「私は息子ちゃんラブ。息子ちゃんしか目に入らない」と。実際、息子ちゃんの学校に行く予定や、読み聞かせボランティアの参加予定しか書かれてなかったからです。

 

それが今や、息子ちゃんがこれから生きる世界を良くするために「自分が出来る行動」に焦点をあてて、動けるようになってきました。私がこの世に生まれてなすべき仕事をするために、学びに行くのだと、今月の私のマンスリーは語ってくれています。

 

家族員の成長も、以前とは違う部分ですよね。息子はもう高校生です。親が子離れするより先に、親離れのための助走を始めている時期です。親の方も、彼が社会へソフトランディングしていくことを応援するのに、ちょうどよい頃合いですから。

 

どんな時もね、変化はすべて手帳が見ていた。ね。なかなか面白いでしょ。

 

さて、今日も一日楽しんで、自分のリズムを保って行動しようと思います。自分を手放さないための、大切な手帳という友人を連れて。 

次につながる生き方で力を発揮するのは、やっぱり手帳

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春ですね~。

本日つい先ほど、素敵で面白い方々とお話してきました。

子ども達の未来を拓く事業を始めようとしていらっしゃるようです。

お話を伺っていると、なるほどそういう視点は重要だと思うことが、満載でした。

帰り道の車の中で、ふと思いついたことがありましたので、今日はそのことについてシェアーしようと思います。

 

自分の現在地と目的地とをつなぐナビゲーター

最近の私は、発達障害の子ども達の「いかに選択の幅を広げるか」のお手伝いをしています。お手伝いですので私自身は道案内に過ぎず、彼ら自身がつるはしを持って、道を作る作業をしなければなりません。

 

そういう現場にいますと、ものすごくたくさんのことが見えてきます。

ええ。それまでスルーしていても良かったことを、真正面から見据えなければなりません。

 

支援者がまず自分をモニタリングできているかが、トコトン重要になってきます。

発達障害のお子さんのうちの一定数は、「自分をモニタリング」がとても難しいようです。特に「会話の間合い・タイミング」とか、注意を相手に向けるとか、なかなかハードルが高いように見受けられます。

 

自分の現在地を、気分の変動の影響でいとも簡単に見失いがちな子どもです。

そうなると、未来の目的地を設定しても、なかなか足を進めることが出来にくくなりますよね。

 

子ども達に、現在地の見つめ方や未来への道の描き方を伝えようとするとね。

指導者ポジションの人がもし、その方法を使いこなしている人でなければ、いっしょに迷ってしましますものね。

 

いかに私という人間を、私がチェックし、評価し、見つめながら行動していくかが重要になってくるのは、もう明白です。

 

これは書くのは簡単ですが、なかなかに難しい作業なんです。

どんな人間も、その場面場面では自分を冷静に見ることは出来にくいの。だって、現実に起こっていることを、ビデオ撮影するように事実だけを見るのは、心の動きが邪魔をしてしまうからです。

 

感情が波だつ、つまり、嬉しかったり悲しかったりのふり幅が大きいと、見ているようでも見えていないことがたくさん出てきます。

或は、自分の色メガネの色が濃くなって、見たいようにしか見られなくなってしまいます。

だから私は、トレーニングをさせてもらえる場所(大学院や実際の支援施設)で、見つめ方のトレーニングをさせてもらっているところなんです。こういうことはもう、経験を積むしかないなと思っています。

 

面白いことにね。

子ども達のかかわりから、ふと自分の人生を考えたときに、クリアになったことがあります。

 

この自分を見つめる目のこと。

そういえばと思い出したことがあります。

 

私の人生には、この自分を見つめる目として最高の友があったのです。

動き出すことができたのも、それがあったからです。

 

行動し始めた原点にあったのは、私の場合、一冊の手帳でした。

自分がやりたいことを記入し、自分が好きな色で塗って、自分の気に入っているカラーで埋め尽くされた手帳でした。

 

今帰宅して、ふと思い立って、過去数年分の月間マンスリーを見て見ました。

この4月から、こんなに予定が埋まっている。では以前のものは? というと、昔のものほど空き時間でスッカスカ。

 

面白いなと思います。

しかも、その忙しい状態であるにもかかわらず、「自分がこうなりたいと望んでいたこと」で時間が埋め尽くされているのです。

 

次のブログでは、とても久しぶりになりますが、私の月間予定の変化を皆さんにお見せしたいなと思います。(今日夕方になるかな? 明日の朝になるかな?)

手帳はね、現在地をきっちりと映し出してくれる本当にいい友達なんだと思います。

 

手帳自体が、魔法をかけてくれるんじゃない。それは事実。

でも、手帳があるからこそ、数年前には魔術レベルの生き方としか思えなかったことも、実現できる。なぜなら、どんな時も、自分を自分でモニターし続けているから。自分の針路を描く地図を、自分で描き続けていることになるから。

これこそが、次につながる生き方の真実なのだと思います。

「ワタシだけが持つ天性の才能」は、どうやったら発掘できるか

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どんな人にも、何かの分野できらりと光る「天性の才能」があります。

今日は、「ワタシの才能を発掘する方法」をご紹介したいと思います。

 

コアラです。だから、コアラなんです

天性の才能って、実は人間、自分ではよくわからないのです。

なぜなら、その人にとってあまりにも当たり前すぎる能力だからなのです。

自分ではまったく知らずに、はなうた歌いながら毎日毎時使い倒していますので、圧倒的なレベルにたっしている可能性があるのです。

 

コアラを例にとると、わかりやすいかも知れません。

コアラね、ものすごくかわいくないですか! 私は本当に、この子大好きなんです。いつどこで見ても、どんな動物園のコアラを見ても、寝てばっかり。木の上の毛玉にすぎないのですが、それでも心ふるえるぐらい、とことん愛らしいと思います。

 

コアラに、「きゃ~、コアラだ! すごい~。」と叫んでみたとしましょう。実際私は、なにか賞賛すべき場にぶち当たりますと、「すごい~、すごい~」を連発してしまいます。

当のコアラはきっと、本当に自分はコアラなので当たり前すぎてなんにも思わないでしょう。コアラだからすごいって言われてもなあ、という感じかと思います。

 

これ、天与の才能をほめられた時の反応と、実によく似ています。

私の知人に「日本一のお客様対応係」と評されるほど、絶賛レベルの聞きの達人がいます。

この人に話を聞いてもらうと、まさに目の前で奇跡が起こります。

不満をぶちまけたくて電話をかけてきた人がいます。そんな語気の非常に荒くなった人が、数分もすると実ににこやかな声で「ありがとう!あなたと出会えてよかった」と切電するそうです。

 

ところが周りの同僚たちがその方を絶賛しても、その方には不思議で仕方がないそうです。だって、自分としては何の苦労もなくやってのけていることだから、なのだそうです。なんの苦も無く使う言葉一つ、呼吸するタイミング一つ自分らしく努力なくやっているから、なのですって。

 

もちろんその方も、お客様係の初日から「達人」だったわけではありません。会社が用意したレベルの高い接遇研修も受けたでしょう。学生時代から友人たちの間で、どういうわけか聞き役やっていたかもしれません。

 

この友人にそういう失敗はなかったのか? と聞きますと、やっぱり「やらかした過去」はあったようです。でもそれも、上手に次へのエネルギーに変えていたようです。次回はもっとうまく聞き取ることが出来るように、なぜうまくいかなかったのか、問題点はどこだったのかを自然と考えるようになったと言っていました。

二度とは失敗しないぞと、かすかに思っていたかもしれないとも言っていました。

 

天が与えたかもしれない、すごい才能

発掘の仕方と活かし方は、

1)自分の行動のうち、人からほめてもらったときに「え? 当たり前のことしただけだよ」と思ったものが、ビンゴです。それこそが、アナタの天与の才能の原石です。

 

2)そういう時は素直に、自分の狭い視野を疑ってみましょう。そして素直に「そこが自分の良いところなんだ」と受け取りましょう。

 

3)あとは、その行動を磨くのです。なにしろまだ、原石です。失敗ウェルカムで、どんどん磨く回数を重ねましょう。そうしているうちに、なぜか達人の域に達している可能性があります。

 

自分の視点から見ているだけでは、自分の良いところも悪いところも気がつきにくいのです。だからこそ、人から何らかの助言をもらえるポジションって、すごく大事にして欲しいのです。自分の思い込みは一度捨てて、自分が呼吸するように自然にできる行動を、今一度見つめてみてください。

必ず、ワタシを活かす私の道が、見えてくると思いますよ。